これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/03/14 久しぶりにフラジャイルの話

過去にも何度か紹介したが、「フラジャイル」という病理漫画がある。 たぶん、全国の病理医の多くが、これを読んでいるのではないかと思う。 もちろん、私も単行本は全て持っている。 さらに、この漫画が連載されている「月刊アフタヌーン」という漫画雑誌も、電子版を毎月購入している。

いわゆるネタバレになるが、フラジャイルの最新話は、たいへん、よろしかった。 診断困難な症例に対し、組織学的所見だけでなく、諸々の臨床所見からの論理的帰結として岸が「IgA 血管炎」と診断する場面があった。 宮崎の「紫斑がないのは IgA 腎症と合致しない」という指摘に対し、「これから出るんだよ」という岸の返答は、病理医のカッコよさを端的に表している。 病理診断というのは、病理学を基礎として論理的に診断を行うものをいう。組織学的観察は、病理医にとって強力な武器の一つではあるが、病理診断の本質ではない。 この「フラジャイル」では、そうした立場が、初回から現在まで徹底されているのである。

この最新話を読んで、私は、少しだけ、泣きそうになった。というか、ちょっとだけ泣いた。 岸は元臨床医であるが、何かの理由で病理に転向した、という経歴である。 そして病理医として岸の後輩にあたる手嶌の、どうしても岸に敵わない、という苦悩が、今回の話の中心である。 手嶌は優秀な男であるが、病理診断医としては岸に及ばないことを悟り、今後は研究一本で生きていくことに決めた。 その悔やしさを「もう 研究しかない…か」と独白している。 誤解のないよう補足しておくが、診断を諦めて研究一本でいく、というのは、手嶌が研究者としては一流の才覚を持っているからできるのであって、 普通の病理医が「これからは研究一本で生きていこう」などと考えても、無理である。

さて、手嶌は診断医を辞めるにあたり、岸に一矢報いようと試みるのだが、上述のように IgA 血管炎という見事な岸の診断に完敗する。

やっとの思いで辿りついた 病理の現場で
となりにいたのは 別次元の人だった
足掻いても叫んでも届かない世界を
自分をあきらめることしかできない世界を
どうしてこの人は 余さず持ってる
どうして俺は何も持ってないんだ

そこまで思ったところで、中熊教授の「岸? あいつは生粋の病理医って奴じゃねぇよ」「臨床から病理に移って来たんだから」という言葉を思い出す。

そうか
もう病理しかなかったのか

まぁ、ここで泣きそうになるのは、博士過程中退で病理医の卵である私ぐらいかもしれぬ。 しかし、何かで転んで方針転換した経験のある人の胸には、多少は響くであろう。 私の拙い文章では、この漫画の雰囲気は伝わらないだろうから、ぜひ一度、読んでみられると良い。


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