これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/03/07 科学

2017/03/07 21:30 修正

私に限らず、医療とは無関係な領域で数年から 10 年程度のキャリアを積んだ上で、医師に転向する者は稀ではない。 そういう者は、大抵、いばれるような理由では転向していないので、「人生に躓いたんですよ、ハハハ」と笑ってごまかすことになる。 私も、教授と喧嘩して大学院を中退してしまい、行き場に困って医者になったのです、と説明することにしている。

人にもよるだろうが、私は、工学の世界で過ごした 9 年間が、医師・医学者として活動する上で、役に立たないとは思わない。 むしろ、あの 9 年間のおかげで、他の一般的な医師の目には映らない、多くの物事がみえるようになった。 理論軽視・経験偏重の現在の臨床医学・医療界において、かつて京都帝国大学内科学教授の前川孫二郎が唱えた医学理論の重要性を認識し、 その血脈を受け継いだと自負できるのは、あの頃の経験に支えられているが故である。 もちろん純粋数学や純粋物理学の出身者には、私以上に統計学に詳しく、より厳密な理論派も多いであろうが、そういう人は、普通、臨床医学に興味を示さない。 まぁ、私ぐらいが、ギリギリ現実的な線であろう。

ところで、北陸医大 (仮) 図書館に最近収蔵された書物に『狂気の科学 真面目な科学者たちの奇態な実験』というものがある。 科学史の中で、特に有名でもなく、後世に大きな影響も与えていない、ヘンテコな実験の逸話を集めたドイツ語の書物の訳書である。 たとえば「なぜ、ネコは高所から落下しても脚から着地できるのか」を解明した実験などはマシな方であって、 「培地にキスをして培養した際に生えるコロニー数の男女差」といった、どう考えても何の役にも立たない実験の話が多い。 もちろん、実験をした当人は真面目な、科学的意義のある研究のつもりだったのだろうが、振り返ってみれば、実にくだらない実験である。

こういう、くだらない研究こそが、科学の本質である。 研究の動機など「面白いから」で充分である。 一方、実社会にどう役立つかを説明できなければ研究予算の獲得が困難な現状は、科学を否定するものに他ならない。 また、「役に立つ知識」にばかり興味を示す一部の若い医師や医学科生の態度は、非科学的であるとの批判を免れ得ぬ。

私が京都大学大学院を中退したのは、教授との関係がこじれたためである。 その原因はイロイロあるが、その一つには、研究の意義を巡る衝突があった。

詳細は別の記事に書いたが、私が大学院で行っていた研究は、加速器駆動未臨界炉と呼ばれる新型原子炉の実現に向けた基礎研究であった。 修士課程の頃から、この研究の意義については多少の疑念を抱いていたが、博士課程に進学し、国内外の科学者達と深い話ができるようになり、その疑念は大きくなった。 すなわち、加速器駆動未臨界炉は、実用性が皆無なのではないか、という疑念である。 それについて、当時の指導教員であった助教や、後に教授になった当時の准教授と話したことはあるが、「意義はある」と強く主張する教員と私の間で、合意は形成できなかった。 本当は役に立たないことぐらい、教授だって理解していたはずなのに、それを無理に「役に立つ」と主張したから、我々の関係はこじれたのである。 その他の問題も加わって溝は深まり、結局、私が退学することになった。

今さら当時のことに不平を言いたいわけではないが、私自身が将来、当時の私と似たような学生に出会うことがないとも限らないから、ここに記録しておこう。 もし、あの時「加速器駆動未臨界炉は役に立たない。しかし、なぜ、役に立たなければならないと思うのか」と教授が言ってくれていたなら、私は中退などしなかったであろう。 「役に立たない研究こそ、科学の真髄であり、京都大学の本領である。すぐに役立つ研究がしたいなら、さっさと博士の学位を取得して JAEA にでも就職せよ。」 ぐらいのことを言われれば、私の科学者としての心は、大きく動いたはずである。 実際、私の博士課程修了予定年には、JAEA (日本原子力研究開発機構) の研究職の公募が行われていたのである。


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