これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/03/06 間質性肺炎の診断における MDD

週刊誌の話を続けよう。 「日本医事新報」が臨床医療寄りの雑誌であるのに対し、医歯薬出版社の週刊「医学のあゆみ」は、やや学術寄りの内容が多い。 「医学のあゆみ」の 2 月 25 日号の特集は「間質性肺炎の MDD」であった。

間質性肺炎、特に、いわゆる特発性間質性肺炎の診断に際しては、MDD (Multi-Disciplinary Discussion) が有効であると言われている。 MDD というのは、臨床医と放射線診断医と病理医が協議して診断を決定する、という方法である。 MDD の方法には、ある程度定められた様式もあるのだが、詳細は、ここでは述べぬ。 「有効であると言われている」と書くと、鋭い人は「一体、誰が言っているのか」と反応するであろう。 それは適切な指摘であって、これは米国、欧州、日本、南アメリカの呼吸器学会が合同で作成したガイドラインで言われているに過ぎない。 この特集を読んでも、MDD 支持派は「ガイドラインで推奨されている」と述べるのみであって、MDD の何がどう優れているのかを明確に述べている者は、いない。

話は逸れるが、北陸医大 (仮) で学生などと話していると、ガイドラインは正しい、などと思っている者の少なくないことに驚く。 教員が、講義などの際に「ガイドラインで決まっているから、そうなのだ」というようなことを言っているフシもある。 一方、名古屋大学時代、我々は「ガイドラインは使うものではない。作るものだ。」と教わり、それに対し多くの学生が「その通りである」と頷いていた。 学生同士で議論する時でさえ、五年生ぐらいになると、「ガイドラインに、そう書いてある」という根拠で何かを主張するのは恥ずかしい、という共通認識が成立していた。 ガイドラインの記載の根拠を把握し、それを元に議論してこそ医師なのであって、ガイドライン通りに診療を行うだけなら、技師と看護師さえいれば充分である。 それを思えば、現在の我が大学の医学科教育は、水準が低いと言わざるを得ない。

閑話休題、この「医学のあゆみ」の特集に掲載された公立陶生病院の谷口医師らによる記事は、 「MDD は間質性肺炎の診断時にかならずしも必要ではない」と題し、一律に MDD を持ち上げることに若干の懐疑を投げかけている。 公立陶生病院というのは、呼吸器内科が有名な愛知県の病院であって、名古屋大学医学科卒業生の就職先としても人気がある。 この谷口医師らの記事も良いが、もっと直接的に MDD の問題点を指摘したのが、近畿大学の田中氏らの記事であり、次のように述べている。

間質性肺炎の診断において, いまや MDD はゴールドスタンダードとなった感があるが, MDD で得られた結論が本当に正しいのかという問題 (正確性の問題) があげられる. MDD では声の大きい人の存在や職場での上下関係に MDD が影響されることもあるであろう. また, 研究会など比較的多くの人数が参加し, 投票により MDD の結論を決める場合でも多数決が正しいとは限らないことをつねに認識しておくことが大切である.

田中氏らは、このような控えめな表現に留めているが、病理学的観点からすれば、MDD には、もっと根本的な二つの問題がある。

第一に、ガイドライン等で MDD を有効としている最大の根拠は、MDD を行うことで診断の一致率や確信度が高まる、という点に過ぎない。 つまり、あるチームで行った MDD と、別のチームで行った MDD が、同じ結論に到達する頻度が高い、というのである。 「もし正しい診断を行えているならば、一致率は高いはずだ」という理由で、診断の一致率が高い MDD は有効である、と考えたくなる気持ちは、理解できなくはない。 しかし、ここでは必要条件と十分条件をよく考えねばならない。 「診断が正しいなら、一致率も高い」というのは真であるが、「一致率が高いなら、たぶん正しい診断である」とは、いえない。 それぞれ単独では不確かな診断や所見が、併されば正確になる、というのは、ベイズ推定が成立するような状況に限られるのであって、 臨床医療にはそぐわない。 むしろ、不確かなものは、いくら集めても不確かなままなのである。 理論を重視する基礎科学の素養がない医師には理解し難いかもしれぬが、 間違った見解で皆が一致する、というのは、珍しいことではない。

第二に、MDD においては、病理医が、病理学者ではなく、形態学者として参加している。 そもそも病理診断の真髄は、「理論医学」たる病理学に基づいて、理論的に診断を行うことにある。 しかるに、MDD においては、病理医は形態学的所見から、考えられる診断を「確信度」で述べることが多い。 つまり「IPF 50 %, NSIP 30 %, CHP 20 %」といった具合である。 この「確信度」というものの意味や定義は、よくわからない。 確率論を修めていない者が、定義を曖昧にしたまま、なんとなく「数値化」して客観的であるかのようにみせかけているのだと思われる。 たぶん、MDD を行っている人々も「確信度」の定義をよくわかっていないであろうが、少なくとも、病理学的ではない。 すなわち、真の病理学的診断が含まれていない、という点が、いわゆる MDD の決定的弱点である。

こうした重大な問題点を抱えているにもかかわらず MDD がもてはやされるのは、他に安心できる診断方法が存在しないからである。 「皆で協議して診断し、意見が一致した」という事実は、たとえ合理性が疑わしく、診断責任の所在が曖昧であろうとも、医師の安心感は大きい。

いわゆる特発性間質性肺炎の病理は未だ全く手つかずであり、巨匠 Anna-Luise Katzenstein でさえ、その解明には至らなかった領域である。 これを、我々が、解き明かし、間質性肺炎の病理診断を確立せねばならない。


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