これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/03/05 医療不信

週刊「日本医事新報」というのは、臨床医療の諸問題を扱う、主に医師向けの雑誌である。 世間一般でいえば、朝日新聞社の「AERA」や、文藝春秋社の「週刊文春」に相当するぐらいの、格調の高くない雑誌である。

この「日本医事新報」の 2 月 25 日号の特集は「医療不信患者への対処術」というものであり、近藤誠などによる医療批判に対する反論のようなものである。 なお、私は、どちらかといえば近藤誠医師のことは好きであるが、それについては過去に書いたので、ここでは繰り返さない。

この特集記事には、「かかりつけ医の立場から」として、東京の某開業医のインタビューが掲載されているのだが、読んで不愉快になった。 たとえば、最近の「医療不信患者」について、「今までの医療不信患者と何が違うと感じるか。」という問いに対し、 この医師は、まず「患者の選択権が医師の裁量権を上回る時代になった。」と答えている。 確かに、過去には「医師の裁量権が患者の選択権より優先される」と考えられていた時代はあったから、この医師の言葉は、事実に反するとまではいえない。 しかし「患者の選択権が医師の裁量権より優先されるのは、本来のあるべき姿なのであって、過去の考えが間違っていたのだ」と考えているならば、 「……上回る時代になった」などという表現は、出てこないであろう。 つまり、この医師は「やりにくい時代になった」「昔は良かった」という気持ちを、暗に表明しているのである。 私が患者であれば、この医師の診療は受けたくない。

さらに、この医師は「生活習慣病治療薬など即時的に効果が実感しにくい薬を長期間服用する必要がある患者が増え、医師性悪説が成立しやすい環境になっている。 まだまだ恵まれた職業と思われている医師を悪とすることで、週刊誌が読者を掴んだ現状は認識しておくべきだ。」と述べている。 まず「性悪説」という語を誤用しており、この医師は漢文学の教養に乏しいことがわかる。 そして、医学科に合格しただけで、その後は理科や工科に比べてろくに勉強しなくても安定した高収入と社会的地位が保障される医師を 「まだまだ恵まれた職業と思われている」などと表現している時点で、世間知らずでもある。 ついでに言えば、医学なる学問を修め実践するだけで、理科や工科のような激しい競争もなしに、そうした高収入と社会的地位が与えられるのだから、 これはもはや現代における貴族であると言って良い。 我々が極めて恵まれた環境にいることには、疑いの余地がない。 もちろん、我々には貴族としての責任があるわけだが、それを果たそうという意志が、この医師のインタビューからは感じられない。 とはいえ、この医師のような考え方は、臨床医の間では、必ずしも少数意見ではないように思われる。

この特集には、もう一人、「がん専門医の立場から」として、富山医科薬科大学卒で日本医科大学教授の勝俣氏のインタビューも掲載されていた。 これを読み、さすが富山医薬大は見事な人材を輩出したものだ、と、私は感心した。 勝俣教授は、「医療不信に陥っている患者にどう対応しているのか。」という問いに対し、次のように述べている。

患者が医療を否定するようなことを言ってくると、中には「何を言っているんだ」と怒り出す医師もいる。 まだそういう部分が医療側にはある。 そもそも患者は医療を否定したいわけではない。怖いから逃げてしまう。 これは誰にでもある患者心理。医療のプロとして患者の不安をまずは受け止めなくてはならない。

さらに教授は、「週刊誌では患者自身が治療法を選ぶことの重要性を強調している。」という問い (?) に対しては、次のように答えている。

日本ではインフォームドコンセントが誤解されている。 本来は患者と医師が一緒に情報を共有しながら、考えていく過程を指す。 しかし、情報を与えて後は患者の責任、というのが現状で、訴えられないための責任逃れに使っている点も問題だ。
...
患者の自己責任論が強まった結果、医療を否定する情報を受け入れやすい環境ができている。

これを読んで思い出したのが、少し話は違うが、学生時代に某病院でみた事例である。 手術後に貧血の続く患者に対し、主治医は「既に輸血の同意書もいただいているので、必要があると思われる場合には、我々の判断で輸血を行います。」と述べたのである。 この患者は、特に認知機能障害があるわけでも、意識障害があるわけでもなく、基本的には判断能力が保たれている状態であった。 それなのに、「既に同意書にサインしたから」と、まるで、患者の「輸血を拒否する権利」を否定するかのような態度で患者に説明したのである。 この主治医は、インフォームドコンセントというものを「同意書にサインをもらうこと」という意味に誤解しているのではないかと思われる。

言うまでもなく、医療行為についての書面による同意などは、いつでも撤回することができる。 特に理由もいらない。「いやだから、いやなのだ」で構わないのである。 それを「同意書は既にあるから」などと言っているようでは、患者との信頼関係など、構築できようはずもない。


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