これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
あたりまえのことである。 教科書一つ読むにしても、独りで読むのと、輪読形式の勉強会などを行うのでは、だいぶ異なる。 たぶん私だけではないと思うのだが、勉強会で他人に説明する、という前提であれば、普段よりも読み方が丁寧になる。 また、勉強会で質問や批判されることによって、あるいは説明すること自体によって、その内容に対する理解が深まる。 いわば、行間にあるもの、文章の裏側にあるもの、独りでは読めていなかった内容に、思慮が及ぶようになるのである。
現在、北陸医大 (仮) で、基礎病理学の教科書を輪読する勉強会を原則として毎週、開催している。 残念ながら私以外の研修医や若手技師などは参加していないのだが、少数の学生が参加してくれており、たいへん助かっている。 この勉強会に関心を示している学生は他にもいるらしいのだが、どうもハードルが高いと認識されている例が少なくないようで、実際の参加者は少ない。 まぁ、中には私のことを危険人物と認定して近寄らないようにしている者もいるのだろうが、そういう学生ばかりではないと思う。
題材にしている教科書が小難しい、という問題はある。 我々は Kumar V et al., Robbins and Cotran Pathologic Basis of Disease, 9th Ed. (2015). を、毎週 30 ページ程度、読み進めている。 これだけの量をキチンと、疑問点を解決しながら熟読しようとなると、本業の他に行う勉強としては、私にとっても容易ではない。 当然、学生や、英語を読み慣れていない研修医等にとっては、至難であろう。 だから学生に対しては、読めそうな量だけ担当すれば良く、やってみて厳しければ残りは私が引き継ぐから、無理しなくて良い、と言っている。
なお、教科書などは必要になったときに読めば良い、と言い訳する者もいるが、本当にそれを実行している者は、いない。 事前に基礎を勉強していなければ、ガイドラインやマニュアル等の記載に疑問を抱くことすら、できない。当然、教科書を開こうという気にすら、ならない。 だいたい、現に臨床医学を勉強し、あるいは臨床医療に携わっているのに、教科書で基本的な事項を確認することすら、実行していないではないか。 だから教科書は、必要になる前に読まなければならない。
さて、研修医というのは、そうした基礎的な勉強に手を出す最後の機会であろう。 ここで勉強しなかった者は、一生、教科書をキチンと読む習慣を身につけずに終わる。 しかし、周囲と同じように行動することを是とする風潮の中で育った医科の学生や研修医にとっては、周囲の人々がアンチョコ本に頼る中で、 自分だけ成書を読むには多大な勇気を要すると思われる。
だから私は、名古屋大学時代と同様、意識的に、周囲にみせるようにしている。 それを疎ましく思う者もいるであろうが、一方で、それに勇気づけられる者もいるであろうことを、期待しているのである。