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2017/03/02 良性転移性平滑筋腫

良性転移性平滑筋腫、という概念がある。 先月号の「病理と臨床」の特集は原発不明癌であり、その中で国立がんセンターの吉田は「子宮平滑筋腫の良性肺転移や平滑筋腫症といった病態もあるので, 肺の多発転移や腹腔内多発結節でみつかる平滑筋腫瘍が必ずしも悪性であるとは限らない.」と述べている。 これを読んだ時、私は「おや」と思った。以前に読んだ Katzenstein の教科書に書いてあることと違うからである。

いわゆる肺良性転移性平滑筋腫というのは、細胞異型の乏しい平滑筋細胞が肺において多発性に結節を形成する疾患であって、 通常、子宮などに平滑筋腫の合併ないし既往を有する。 病理学を修めた者であれば「良性転移性」という名称に違和感をおぼえるであろう。 「良性」とは「転移や浸潤を来さない」という意味なのであって、「良性腫瘍の転移」というものは、定義上、存在しないからである。 一体、どういうことなのか。

肺非腫瘍性疾患を専門とする病理診断学の巨匠 Anna-Luise Katzenstein は、著書 `Diagnostic Atlas of Non-Neoplastic Lung Disease' (2016). の中で benign matastasizing leiomyoma について「低悪性度の平滑筋肉腫が転移したものと考えられる」と、簡潔に述べている。 すなわち「子宮平滑筋肉腫の肺転移」というのが疾患の本態であるが、一見、良性腫瘍様なので 「良性転移性平滑筋腫」という病理学的に矛盾した名称が与えられている、とする立場である。 これを支持する根拠としては、先行する子宮筋腫病変と、複数の肺病変が、いずれも同様の X-inactivation パターンを示していた、とする報告である (Human Pathol. 31, 126-128 (2000).)。 これが普遍的事実であるならば、全ての腫瘤が同一細胞起源であると考えるべきであるから、転移性病変であるとみるのが合理的である。 ただし、この報告に掲載されている写真は不鮮明で、私の眼では、同一の X-inactivation パターンであるとまでは読み取れなかった。

一方、病理診断学の聖典 Rosai J, Rosai and Ackerman's Surgical Pathology, 10th Ed. (2011). をみると、この疾患について 「子宮平滑筋肉腫の肺転移、すなわち良性転移性平滑筋腫 benign metastasizing leiomyoma とみる立場と、 多中心性良性平滑筋腫症 fibroleiomyomatous hamartoma とみる立場がある」としている。 後者は、この腫瘍は病理学的に良性のものであって、それが何らかの原因により、子宮と肺にそれぞれ原発した、という解釈である。 この解釈を支持する状況証拠として、妊娠や卵巣切除を契機に、つまりエストロゲンの分泌低下に伴って、 この腫瘍が自然消退した、という報告がある (Cancer 39, 314-321 (1977)., N. Engl. J. Med. 305, 204-209 (1981).)。 良性子宮平滑筋腫は、少なくとも部分的には、エストロゲン依存的に増殖することが知られているので、それと類似の病変であろう、という考えである。 また、他の平滑筋腫の合併や既往なしに肺に病変を生じた症例の存在を根拠に、これを原発性病変であると主張する報告もある (Pathol. Int. 51, 661-665 (2001).)。 ただし、この症例では全身 CT やシンチグラフィは施行したが、MRI や組織学的検索は施行していないようであり、小さな平滑筋腫の検出感度に疑義があり、 肺病変を原発と考えることの根拠としては薄弱である。

以上のように、転移派も原発派も、それぞれ相応の根拠は持ちつつも、決定的証拠がない。 この疾患の本態については、数十年にわたる論争が続いている、というのが現状である。

しかし冷静に考えると、これは、転移性非腫瘍性病変であるとみるのが合理的なのではないか。 そもそも転移という現象が、腫瘍に特異的なものであると考えること自体が合理性を欠いている。 過形成性病変が転移することも、あって良いはずである。 すなわち、エストロゲン感受性に平滑筋細胞が増殖する過形成性病変に、ある種の変異が加わることで転移能を獲得したのが「良性転移性平滑筋腫」であるとみることができる。 通常、過形成性病変は転移先で増殖することができないのだが、子宮体部と肺は、たまたま類似の niche を有しており、この平滑筋細胞は肺で増殖可能なのであろう。


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