これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/03/01 某病院長と某名誉教授

昨日の記事について、誤解を招くといけないので、最後に一文を追記した。

名大医学部学友時報 2017 年 2 月号が届いた。 これは名古屋大学医学部、おそらく正確には医学科の、同窓会報である。 内輪の発行物ではあるのだが、CiNii Books にも登録されており、他大学からも ILL で相互利用できるはずだから、公開された文献として扱って良いであろう。

今号の 4 ページに掲載されていた愛知県の某病院長の指摘は、たいへん、よろしかった。

今の研修医だけではなく学生も含めて、早い時期から自分の進む専門を選び、進路が決まると、 専門に直接関係ないと思われることに興味を失って勉強を怠るひとがいるように感じます。
...
効率を重視するあまり、つい不必要と思われることを取捨選択する傾向があるように感じます。 本来ならば無限の可能性があるにもかかわらず、先入観にとらわれて自分の選択肢を狭くする結果にならないか心配しています。 若いときに為になると思ったことでその後も普遍的に役に立つことはどれだけあるのでしょう。
...
また一方、専門分野に進めば、周辺に専門知識を持った先生方がたくさんいるため、いつでも知識を得ることができます。 しかし、専門外の事は周囲に聞くこともできないかもしれないし、ある程度の知識がないと自分で調べて勉強するのも効率が悪くなります 逆説的ですが、将来、専門分野に進んだ時に役に立つのは専門分野以外の知識だと感じています。
...
自分の視野を広げるためにも、趣味的でかまいませんが広く医学に興味を持ってみませんか? 「急がば回れ」という諺を思い出してみましょう。

こういう言葉が、卒業生、特に若い研修医に向かって発されるのが、名古屋大学の良い所である。

ひるがえって、我が北陸医大 (仮) は、どうか。 たとえば学生や研修医向けに開催されているセミナーの類をみても、大抵は医師国家試験や、救急外来を中心として臨床に「すぐに役立つ知識」を教えてくれている。 そうしなければ学生や研修医の多くが興味を示さない、という事情があるのは理解できるが、はたして、長期的、大局的な視野を持ったセミナーに、なっているだろうか。 それで大学と言えるのか。

だから私は、病理部での研修中、臨床実習で訪れた学生に対し、切り出し業務の傍で 「von Hippel-Lindau 病と腎淡明細胞癌の、分子生物学的および組織学的な連関について」というような、どう考えても試験や臨床の役には立たない雑談などをした。 これは、それなりに複雑な話であるから、一度聞いただけで彼らが理解できたとは思わない。 また、半分程度の学生からは「うざい研修医がいた」などと言われているに違いない。 しかし、そういう医者を直に見たという経験は、彼らの将来に少しだけ良い影響を与えると期待している。

さて、私は、母校を無条件に礼賛することが愛校心であるとは思わない。その悪い点を悪いと指摘することも、また愛情の表れである。 上述の学友会時報の 6 ページ に掲載されていた某名誉教授の随筆は、残念であった。

私が患者である場合、この頃は患者になって医者に診てもらう機会が多くなってきたが、電子カルテは見てはいけないものと思っている。 だから診察室では医者の書くカルテの画面から目をそらしている。
...
患者がカルテを盗み見てはいけないという法律はないが、「患者はカルテを通常は見ないものだ」という感覚がない人も混じっている。

どうやら、この名誉教授は、患者はカルテを見るべきではない、という信仰の持ち主のようである。時代錯誤である。

患者には自分のカルテを閲覧をする権利がある、というのが現代では常識である。 一部の精神疾患など、稀な例外を別にすれば、カルテは、患者に見られて困るような書き方をすべきではない。 もちろん、書いている現場を横でみられるのは落ち着かないかもしれないが、患者だって、自分のことをどのように書いているのかわからなければ、落ち着かない。 だから、道理を弁えている医者は、むしろ電子カルテの画面を患者から見やすいように配慮して、記載している。

「患者はカルテを通常は見ないものだ」という感覚は、改めなければならぬ。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional