これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
私は、常々、米国ハーバード大学教授などが書いた教科書を礼賛し、the New England Journal of Medicine (NEJM) のファンであることを公言している。 そのため、何かを勘違いした人は、私のことを「何だかんだ言って、結局、権威に弱い」などと嗤うかもしれぬ。 そこで本日は、NEJM に掲載された論文の中にも程度の低いものが稀ではない、という事実を指摘することで、私が NEJM を無条件に賞賛しているわけではないことを示そう。
この日記では原則として個人攻撃はしないことにしているが、NEJM に掲載された論文をけなしたところで、著者の名誉に傷がつくわけではないだろうから、具体例を挙げる。 たとえば最新の 2 月 23 日号に掲載された M. S. D. Agus らの `Tight Glycemic Control in Critically Ill Children' (N. Engl. J. Med. 376, 729-741 (2017).) である。 これは、重篤な状態にあり、かつ高血糖を呈している小児に対し、 インスリンを用いて血糖を基準範囲内にまで下げることが有益かどうかを統計的に調べた、いわゆる臨床研究の報告であるが、全く医学的価値がない。
この報告には、そもそも、そうした調査を行おうと考えた理由が記載されていない。 研究の背景が述べられていないのである。 インスリンを用いて血糖を下げることが有益かもしれない、と考える理由すら記載されていない。 何らの理論的根拠や推論も述べられていないのである。 少なくとも文面上は、単に「統計的調査が行われていないから、やってみました」というだけの報告であって、学問ではない。
さらにいえば、この報告では「血糖値を 80-110 mg/dL にまで下げることは有益かどうか」を評価したようだが、この 80-110 mg/dL というのは、 だいたい健常者の空腹時血糖の基準範囲である。 当然、病的な状態にある患者の「正常値」とは異なる。 従って、この「80-110 mg/dL にまで下げる」という発想が既におかしいのであって、これを検証の対象としていることは、浅慮である。 そもそも、なぜ血糖値を下げようと思うのか、という点を曖昧にし、論理的思考を欠いているから、こうした、おかしな条件設定が生じるのである。
補足しておくが、急性期において高血糖自体が有害であるという証拠はない。 インスリン作用不全による細胞内グルコース欠乏は有害であると考えられるが、その場合、高血糖そのものは問題ではない。 その観点からすれば、「血糖値をコントロールする」という発想自体が不適切なのである。
統計調査を行うにあたっては、その背景や、検証の対象とする理論を明確にすることが極めて重要である、という点は、過去に何度も指摘してきたので、ここでは繰り返さない。 素人である多くの医者は勘違いしているが、統計というものは、普遍的ではなく、客観的ですらない。これは、統計学を修めた者にとっては常識である。 そのような、統計の基本中の基本すらわきまえていない報告が、NEJM にも掲載されるのである。
この雑誌の読者の多くは統計を知らないから、この論文のくだらなさにも気づかないであろう。 結果として、少なからぬ読者が、この論文に興味を示し、また、別の論文にもしばしば引用されるであろう。 この論文が掲載された理由が、そうした点を見越した商業主義的戦略にあるのか、それとも単に査読者も統計の素人だからなのか、それは、わからない。
権威に弱いのは、私ではなく、エラい先生の言うことを鵜呑みにして統計をありがたがる諸君の方である。