これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
私は病理医の卵であり、先月と今月は、北陸医大 (仮) の病理部で研修を受けている。 来月からは臨床診療科の研修に戻り、来年度末から、また病理部である。
病理部での研修が始まった直後に、指導医の一人が臨床検査技師に対して、私を「一年次の研修医であり、将来、病理をやる可能性がある」と紹介した。 私は、すかさず「先生、可能性があるのではなく、完全に確定です」と訂正した。 迷わない、ということが私の長所なのであって、「可能性がある」などという曖昧な表現は、好かぬ。
ひとくにち病理医といっても、その働き方は多様である。 大学所属の病理医であれば、基礎病理学の研究を主に行い、その一方で病理診断業務も行う、という例も多い。 一方、市中病院であれば、病理診断を専らに行い、研究は基本的に行わない者も多い。 そのあたりについて「どうするつもりかね」と指導医に訊かれた際、私は「外科病理の研究寄り、を考えております」と即答した。
外科病理学というのは、病理診断学と同義である。これに対し実験病理学といえば、基礎病理学のことである。 歴史的に、病理診断学は基礎病理学から派生した学問であり、両者の境界は曖昧であるが、これを完全に分離すべきとする意見も強い。 基礎病理学も病理診断学も、それぞれ高度に専門的な分野なのであって、互いに片手間に行えるようなものではない、というわけである。
さて、私は、基礎病理学ではなく病理診断学の、しかし診断業務特化ではなく研究寄りでやっていきたい、という姿勢を表明したわけである。 こうした点は、早いうちから明確にしておいた方が、周囲の私に対する見方も固まるし、私自身としても将来を見据えやすく、具合が良い。
指導医の一人は、そういう私の方針を聞いて「つまり教授になろうというわけだな」と言った。 もちろん、私は「その通りです」と述べた。これを明確に即答できないようでは、医学者として大成しない。
その指導医は「昨今では、診断特化ではなく病理診断学をやろうという若者は少ない。無人の荒野を往くが如く、存分にやりたまえ。」と私を励ました。