これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/02/14 敗血症の定義についての批判と予言

敗血症の定義については昨年 5 月に少しだけ書いたが、その続きである。 欧米の救急医学会、具体的には the European Society of Intensive Care Medicine と the Society of Critical Care Medicine は、2016 年に Sepsis-3 として、敗血症の「新定義」と、SOFA スコアに基づく診断基準を発表した (J. Am. Med. Asssoc. 315, 801-810 (2016).)。 また日本救急医学会と日本集中治療医学会も、昨年末に日本版の敗血症診療ガイドライン改訂版を発表した。 このガイドラインでは、Sepsis-3 に準じる敗血症の定義と診断基準が推奨されている。

これまで日本で広く用いられてきた敗血症の概念は、Sepsis-1 に基づくものであって、つまり「感染症による全身性炎症反応症候群 (Systemic Inflammatory Response Syndrome; SIRS)」であった。 これに対し「新定義」では敗血症を「感染により重篤な臓器障害を来した病態」としている。 すなわち、感染により著明な炎症反応が惹起されていても、現に臓器障害が明らかでないものは、敗血症ではない、としたことになる。 診断基準上も、SIRS を基本とする Sepsis-1 では臓器障害を問題にしていなかったが、Sepsis-3 では、臓器障害がなければ敗血症とは診断しない。

Sepsis-1 の問題点としてしばしば指摘されたのは、感度も特異度も低い、というものである。 特異度が低いことは、少し考えれば容易に理解できるし、過去にも書いた。 しかし臨床的な観点からすれば、明らかに感染と無関係な理由で SIRS の基準を満足してしまう症例は問題にならない。 多少の過剰診断は生じ得るが、むしろ敗血症見逃しのリスクを減らすことの方が重要だ、というのが Sepsis-1 の理念であった。 従って、「特異度が低い」という点については、臨床的には重要ではない。

一方、感度が低い、という点については、N. Engl. J. Med. 372, 1629-1638 (2015). を引用して、 敗血症と考えられる症例の 1 割強は SIRS の基準を満足しない、という主張が、しばしばなされる。 しかし、この報告をみると、重症感染症でも SIRS の基準を満足しないことがある、と言っているだけであって、 SIRS の診断基準を満たさない敗血症が存在することを認めさえすれば、何の問題もない。

結局のところ、Sepsis-1 の問題点は、ノータリンな医師が無思慮なマニュアル診療する際には役立たない、という点と、 統計をとる際の「分類基準」としては適さない、という点に過ぎない。 診断基準は絶対ではない、ということさえ認識していれば、臨床的には問題ないように思われる。

これに対し Sepsis-3 では、重篤な臓器障害の存在を定義に含め、つまり生命予後の不良なるものに限定して敗血症と呼ぶことにしている。 換言すれば、適切な治療を施しても死亡する恐れの大きい患者のみが「敗血症」と診断されるのである。 治療が遅れれば死亡する恐れもあるが、適切な治療を直ちに行えば救命は容易である、というような患者は、敗血症ではないのである。 SOFA スコアや qSOFA スコアを診断基準に用いるというのは、つまり、そういうことである。

結果として、何が起こるか。 SOFA スコア上は問題がないから敗血症ではない、と診断される症例が、従来よりも増えることになる。 敗血症ではない、となれば、並の医師は油断する。検査や治療が遅れ、緩くなる。 敗血症でないなら血液培養は不要と考える医師も出現すると予想される。

今のうちに予言しておくが、5 年か 10 年の後には「Sepsis-3 を基準に敗血症を診断すると Sepsis-1 を基準とした場合よりも予後不良になる」という報告がなされるであろう。

これは、病理学的本態を軽視し、致死率などという、実体を伴わない統計を偏重したことの弊害である。


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