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2017/02/12 佐賀大学

月刊「病理と臨床」というオタク向け雑誌がある。 これを出版している文光堂は、基礎医学や学生向けの教科書の分野では南江堂、南山堂、MEDSi, 医学書院ほど有名ではないように思われるが、 もっとマニアックな専門書については同社の圧勝である。 私の蔵書でいえば『血液細胞アトラス』『寄生虫学テキスト』といった渋い名著や『小児科学』などの専門書が同社から出版されている。 また病理診断学のアトラスなど、専門医ですら個人ではなかなか購入しないような書物となると、日本では文光堂の独壇場である。

さて「病理と臨床」には「CPC 解説」という連載記事があり、教育的価値のある症例や貴重の症例を病理学的に議論した内容が掲載されている。 先月は「著明な肝脾腫を呈し, 劇症の経過をたどった systemic EBV positive T-cell lymphoma of childhood の 1 剖検例」と題する佐賀大学からの報告であった。 この疾患自体は、すごく稀でマニアックに過ぎるので、ここでは紹介しない。 しかし本症例の臨床経過に、私は、たいへん感心した。

臨床経過を簡略に述べれば、次のようなものである。 40 歳台の男性が、倦怠感と発熱を主訴に近医を受診した。 血液検査では肝酵素高値、CT では肝脾腫がみられ、入院した。 また、腹痛と発熱に対し 4000 mg/day 程度のアセトアミノフェンを処方された。 その後、黄疸や代謝性アシドーシスを来したため、某病院に紹介された。

なお、その「近医」が投与した 4000 mg/day のアセトアミノフェンというのは、添付文書上は最大の投与量であるが、この薬は肝毒性があることで有名である。 肝酵素高値や肝脾腫といった肝傷害を示唆する所見のある患者に対して、このような投与をすることは、常識では考えられない。 平たくいえば、その「近医」が行ったのは、医療過誤である。

そのような患者を紹介された某病院では、患者を集中治療室に入院させ、人工呼吸器や持続血液瀘過透析などを用いた全身管理を開始した。 また敗血症も疑い、血液培養を行うとともにセフェム系抗菌薬であるセフェピムの投与を開始した。 しかし在院第 4 日に、ペニシリン感受性の連鎖球菌菌血症が明らかになったため、セフェピムを中止し、ペニシリン G とクリンダマイシンの投与を開始した。

この抗菌薬のくだりは、記事のメインストーリーとは関係ないのであるが、これを読んで私は、見事なものだ、と、感心した。 連鎖球菌感染症であるなら、抗菌スペクトラムの狭いペニシリン G で充分なのであって、広域スペクトラムのセフェピムを無闇に使うことは、 耐性菌を生み出すリスクとなるだけでなく、その患者の常在細菌叢を乱し、有害無益なのである。 敗血症診療ガイドラインでも、連鎖球菌による敗血症に対してはペニシリン G とクリンダマイシンの組み合わせが推奨されている。 なお、クリンダマイシンは細菌の蛋白質合成、具体的には翻訳を阻害することで、TSS 毒素などの細菌性毒素の産生を抑える働きがあると考えられている。

要するに、このセフェピムからペニシリン + クリンダマイシンンへの切り換えは、感染症治療の基本に忠実な、模範的対応である。 勉強が足りない、あるいは診断能力の低い医師には、こうした抗菌薬の de-escalation は、できない。実際、できていない医師が多いのではないか。 自分の診断に自信がないから、無闇にスペクトラムの広い抗菌薬に頼るのである。 常在細菌叢を乱すことで致死的な転帰につながったとしても、臨床的には原疾患による死亡と鑑別困難なので、 患者を死なせた医師は「不可避な死であった」と自分や遺族を納得させることができ、罪悪感は少ない。 というより、自分が死なせた可能性を認識すらしない例が多いのではないか。

キチンと勉強した医師と、そうでない医師との違いは、こういうところに表われる。 「よく効く薬」を出してくれる医者は、むしろ藪医者なのである。

2017.02.13 語句修正

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