これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/02/09 Bleb

`Bleb' という医学用語がある。日本語では「ブレブ」などと発音されることが多い。 これに似た語として `bulla' という語もあり、日本語では「ブラ」などと発音される。 本日の議題は、この両者の違い、特に `bleb' という語の定義についてである。 中途半端な勉強をした者の中には「肺の気腫性変化のうち、径 1 cm 以下のものを bleb と呼び、1 cm 以上のものを bulla と呼ぶ」などと即答する者もいるかもしれぬ。 が、それは正しくない。

まず、肺 CT の名著である Webb WR et al. High-Resolution CT of the Lung, 5th Ed. (2015). の Chapter 23 の用語集によれば、両者は次のように区別される。 Bleb は臓側胸膜内の空気を含む空間をいい、bulla は、境界明瞭な気腫性領域であって、直径 1 cm 以上であるものをいう。 すなわち、それが胸膜内である、という点において、bleb は bulla とは明確に区別される、というのである。 ところが同書の Chapter 6 では、bleb について

The term bleb is used pathologically to refer to a gas-containing space within the visceral pleura or subpleural lung, no larger than 1 cm.

とある。つまり、場所の問題ではなく、大きさで区別する、というのである。 なぜ、このような食い違いが生じるのか。 双方の記述が根拠として示している参考文献を調べると、その全容がみえてくる。

まず Chapter 23 の方は、胸部画像の専門家集団である Fleischner Society が 1984 年に発表した用語集 (Am. J. Roentgenol. 143, 509-517 (1984).) を 挙げている。この用語集では、確かに、bleb は胸膜内の空間であり、bulla は 1 cm 以上の気腫性領域である、とされている。 なお、この用語集は、いわゆる胸部 X 線画像を念頭においたものであって、CT は想定されていないことに注意を要する。

次に Chapter 6 の方をみると、Fleischner Society の 1984 年の用語集だけでなく、同じく Fleischner Society が CT 所見のためのに発表した用語集 (Radiol. 200, 327-331 (1996).) と、それらの改訂版である 2008 年の用語集 (Radiol. 246, 697-722 (2008).) も挙げられている。 改訂前後の両方を参考文献に並べる、無節操な記述である。 1996 年の用語集では、bleb という語は記載されていない。Bulla については、1984 年の用語集と同様の記載であるが、「上皮性の壁に囲まれている」という要件が加えられている。 一方、2008 年の用語集では、bleb について

A bleb is a small gas-containing space within the visceral pleura or in the subpleural lung, not larger than 1 cm in diameter.

としている。High-Resolution CT of the Lung の Chapter 6 の記載は、これを引用したものであろう。 なお、bulla については 1984 年の記載と同様であって、「上皮性の壁」という記載は削除されている。

なぜ、2008 年の用語集では bleb の定義を変えたのか。この用語集が bleb の項で参考文献として挙げているのは Mayo Clin. Proc. 78, 744-752 (2003). である。 これは、肺嚢胞や空洞についての報告であるが、用語の定義については詳しく議論しておらず、単に

A bleb is a localized collection of air in the immediate subpleural lung or within the pleura and is usually less than 1 cm in diameter.

と宣言されている。ここでは、Fleischner Society の 1984 年の用語集に加えて、Respiration 59, 221-227 (1992). が参考文献として挙げられている。 残念ながら、この報告は北陸医大 (仮) の図書館に所蔵されていないので取り寄せ中であるが、abstract をみる限り、用語について詳しく議論している様子はない。

以上のことから考えるに、bleb という語は、病理学的には伝統的に胸膜内病変を指す語として用いられてきたが、 これを「小さな嚢胞性病変」というような意味で用いる慣習があまりに広まってしまったために、Fleischner Society も現状を追認したのではないかと思われる。 なお、嚢胞性病変を 1 cm より大きいか小さいかで区分することには意味がなく、 画像所見としては bleb という語は使わず、bulla に統一すべきである、とする意見が主流のようである。

最後に、病理診断学の立場から Rosai J, Rosai and Ackerman's Surgical Pathology, 10th Ed. (2011). の記載を紹介しておこう。 この書物によれば、bleb とは、胸膜直下の肺胞が破裂することで空気が胸膜の結合組織内に放出されたものをいう。 また bulla とは、嚢胞性空間であって、薄い胸膜に覆われたものをいう。

このように、用語の定義は統一されておらず、混乱が続いている。 その現状について、Fleischner Society の 2008 年の用語集の序文の最後の段落を引用しておこう。

We hope that this glossary of terms will be helpful, and it is presented in the spirit of the sentiment of Edward J. Huth that "scientific writing calls for precision as much in naming things and concepts as in presenting data". It is right to repeat the request with which the last Fleischner Society glossary closed: "Use of words is inherently controversial and we are pleased to invite readers to offer improvements to our definitions".

他人が提唱した定義を、無批判に鵜呑みにしてはならぬ、ということである。


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