これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/02/01 腫瘍の定義 (1)

「腫瘍」という語は、臨床医療において、しばしば不適切に使われる。 特に、一部の臨床医は「腫瘤」の意味で「腫瘍」という語を用いる癖があるようで、よろしくない。 腫瘍という語は英語では tumour、米国式に表現すれば tumor であって、この英単語の原義は「腫脹」である。 従って、膨らんでいる病変を全て tumour と表現することは、完全に誤りであるとまではいえない。 しかし、Kumar V et al., Robbins and Cotran Pathologic Basis of Disease, 9th Ed. (2015). に the nonneoplastic usage of tumor has almost vanished と記されているように、現代では、普通、「腫脹」の意味で tumour という語は用いない。

医学書院『医学大辞典』第 2 版では、「腫瘍」という語を 「身体を構成する細胞 (体細胞) が, 何らかの原因で自律的に不可逆性に増殖する性質を獲得し, 体内で増殖を続け, 宿主を傷害する病態。」としている。 しかし、これは病理学的には正しくない。無症候性の腫瘍も存在するのだから、「宿主を傷害する」は余計である。 では、そこを省いて「〜 体内で増殖する病変のこと。」とすれば良いのかというと、そうでもない。 たとえばホジキンリンパ腫は、少数の Reed-Sternberg 細胞が、多数の反応性リンパ球を伴って増殖する疾患である。 医学書院流の定義に従えば、Reed-Sternberg 細胞と反応性リンパ球を併せて「腫瘍」であるということになる。 これに対し、反応性リンパ球は非腫瘍性なのであって、Reed-Sternberg 細胞のみが真の腫瘍である、とするのが現代病理学の立場である。

そこで `Robbins' をみると

A neoplasm is an abnormal mass of tissue, the growth of which exceeds and is uncoordinated with that of the normal tissues and persists in the same excessive manner after cessation of the stimuli which evoked the change.

新生物とは、組織の異常な集塊であって、その増殖は無秩序かつ過剰であって、かつ、そうした変化を惹起した元の刺激を取り除いても、同様の態様で増殖を続けるものをいう。

という古典的定義が紹介されている。なお、新生物という語は腫瘍と同義である。 さらに、この古典的定義を分子生物学の言葉で表現したものとして

a disorder of cell growth that is triggered by a series of acquired mutations affecting a single cell and its clonal progeny.

細胞の過剰な増殖を呈する異常であって、ある細胞における一連の変異の獲得、およびその娘細胞への継承によって引き起こされるものをいう。

という表現が紹介されている。 この定義は、現代において広く受けいれられているように思われるが、不適切である。 上述の古典的定義や医学書院の定義に含まれている「自律的に増殖するもの」という要件が含まれていないからである。

この定義が問題になるのは、たとえば、MALT リンパ腫である。 これは Marginal zone lymphoma と呼ばれるリンパ腫の一型であり、よく分化した B 細胞がモノクローナルに増殖する疾患である。 MALT リンパ腫は、時に H. pylori 感染に合併して生じ、H. pylori を除菌することで消失することがある、という点で有名である。 H. pylori 除菌で消失するならば、H. pylori 感染に関連する何らかの刺激に反応してリンパ球が増えていたのだ、と考えるのが自然である。 従って、これは完全に自律的な増殖ではないから、上述の古典的定義や医学書院の定義に従うならば、これは非腫瘍性病変である。 しかし現状では、そうした反応性と考えられる病変まで含めて「リンパ腫」、つまり腫瘍として扱われている。

この反応性リンパ増殖性疾患を腫瘍として扱うことが妥当かどうか、という問題は、次回、書くことにしよう。

2017.02.01 訳修正

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