これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
過日書いた京都大学出身の某君と、学士編入組が基礎医学研究の道に進むことの是非について話し合ったことがある。 我々編入組は、年齢のハンディキャップを少なからず背負っている。 そんな我々が、ポスト争いの厳しい基礎医学研究で、はたして生き残れるだろうか。 名古屋大学など一部の大学は、編入組に基礎研究での活躍を期待するようなことを募集要項に書いているが、はたして、本当にそんなことが可能なのだろうか。 ひょっとすると、単に実験のための労働力として我々を利用する魂胆で、「ごほうび」として医師免許を与えようとしているだけなのではないか。 そういう疑念について、語り合ったのである。
実際、私は、そうした疑問を抱いたまま、名古屋大学の面接に臨んだ。 既に富山大学からは合格をもらっていたので、面接で少しでも不満があれば、名大の合否にかかわらず富山大学に入るつもりであった。 そこで上述の疑念について、やんわりと面接官に確認したところ、研究といっても必ずしも基礎医学である必要はなく、いわゆる臨床研究でも良い、と言われた。 これにより疑念が晴れ、私は名大に入ることにしたのである。
なお、似たようなことは名古屋大学の同期編入生の某君とも話したことがある。 我々医学部出身者は、学識の深さでは、どうしても理学部や農学部の連中に及ばない。そんな我々が、基礎研究をする意義はあるのか、という問題である。 これについては、我々は学識の深さではなく広さ、幅で勝負するべきであろう、という点で合意に達した。
さて、研修医の多くは、基礎医学の学識が極めて乏しい。細胞生物学や生化学など、知らなくても恥ずかしくも何ともない。 「必要になった時に調べれば良い」という者もいるが、そもそも基礎が欠落しているのだから、いざという時に教科書を開いても、理解できない。当たり前である。 そこに書かれている内容を表面的になぞることはできても、それが真に意味するところ、行間にあるもの、文章の裏側に潜んでいるものを、読みとることはできない。 臨床面でいえば、典型症例に対してガイドラインに沿った診療はできても、それ以上のことは、できまい。 では研究面ではどうかというと、 「広く、浅い」医師ならば「狭く、深い」理学部や工学部、農学部の連中を相手にまわしても戦えるであろうが、「狭く、浅い」医師では勝負にならぬ。
一体、なぜ、かくも基礎が軽視されるのか、なかなか理解できなかった。 しかし最近になってようやくみえてきたのだが、彼らは、ただ眼前の問題にコツコツと取り組むことを、二十余年間、続けてきたのではないかと思われる。 入学試験にせよ卒業試験にせよ、あるいは国家試験にせよ、与えられた関門をくぐり続けていけば、明るい未来があると思ってきたのではないか。
それでは、遺憾ながら、便利な労働力にしか、なれない。