これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/01/18 医と工 どちらが楽か

ある同期研修医と世間話をしていた時、工学部は医学部よりは楽だったでしょう、などと言われたことがある。 ここでいう「楽」とは、趣味に費す時間がある、という意味である。 もちろん悪気はなかったのであろうが、私の帰属意識は現在でも医科ではなく工科にあるのだから、この発言は、はなはだ不愉快であった。

世間では、医学部、正確にいえば医学科のカリキュラムは厳しい、ということになっているらしい。 しかし、工学部の立場からいえば、それは、ちゃんちゃらおかしい。 医学部の人々がいう「キツい」というのは、必修の授業数が多い、という程度の意味であって、要するに「サボれない」というだけのことである。 授業や実習に出席して、過去問をみて試験対策すれば自然に卒業でき、その後の人生まで保障される医学科の、一体、どこか厳しいのか。 また、医学科で扱う学問は、単に情報量が多いだけで、内容は単純であるし、しかも、別に覚えなくても何とかなる。難解な物理や数学を扱う工学部に比べれば、たいへん、易しい。

私がいた頃の京都大学工学部物理工学科では、必修科目は少なく、卒業に必要な時間拘束は少なかったから、その意味では、医学科より楽であった。 しかし、それは、授業で扱った以外の内容を自主的に勉強していることが当然と考えられているからである。 単に工学部で授業と実習をこなして卒業しただけの者など、研究者としても、労働者としても、全く使いものにならない。 単位を取得して卒業し、国家試験さえ合格すれば許される医学科とは、要求されている水準が全く異なる。

特に、学部卒業後に大学院修士課程、博士課程と進み、学問の道で生きることを選んだ者には、大学院修了後の熾烈な就職争いが待っている。 博士課程修了者の数に比して、研究職のポストの数が、圧倒的に少ないのである。 医学科に喩えれば、医師国家試験合格者数が、医学科卒業者数の 1-2 割でしかない、というような状況だと考えれば良い。 そういう未来を念頭において、非医師の大学院生は、学業に勤しんでいるのである。 楽、ということでいうならば、与えられた道を歩くだけの医学科の方が、圧倒的に楽である。

なお、上述のようなことは、たぶん理学や工学の人々の多くが思っているのだが、 それを口にしても「医学のことを知らないくせに、何を言うか」と叩かれるだけなので、黙っているに過ぎない。 そこで、一応は医学を知っている立場にある私が、工科の人間を代表して、ここに表明する次第である。

何より恐ろしいのは、こうした楽な人生を、「医師」というエリート集団に与えられた特権であると信じている連中の存在である。 苦しい受験戦争を勝ち抜いたことに対する正当な報酬だ、というわけである。 理学・工学、あるいは基礎医学の人々の苦難は、彼ら自身が選んだ道なのだから、我々の知ったことではない、という論理らしい。

私はもともと医者が嫌いであったが、この世界に来て、ますます嫌いになった。

2017.01.19 誤字修正

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