これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/01/15 「臨床検査」

「臨床検査」という雑誌がある。 医学書院から発行されている月刊誌で、それなりに歴史のある雑誌であり、もちろん、臨床検査医学の専門誌である。 一応、学術論文も掲載されてはいるが、むしろ臨床検査に関連した特集記事などの、学術研究ではない記事が大半を占めている。 それほど難しいことは書かれておらず、あまり頭を使わずに読めるので、疲れたときにフラリと図書館に立ち寄りペラペラと眺める、というような読み方で良い。 私の場合、家に帰るのが面倒な日は、夜の病院や大学をブラブラ散歩するついでに図書館に立ち寄り、この雑誌を眺める、というのが最近の習慣になっている。

似たような雑誌で「検査と技術」というものもある。 これも医学書院の月刊誌であるが、若手臨床検査技師や学生を対象にした雑誌であるらしく、「臨床検査」よりも基本的な内容が多い。 ただし、これらは臨床検査技師にとっての「基本」なのであって、一般的な医師にとっては、勉強になる内容も多いであろう。

さて、先日の記事で、形態学しかできない病理医が淘汰される時代が来るであろうことを書いたが、似たような状況には、臨床検査技師も直面している。 すなわち、検査の機械化、自動化が進む中で、臨床検査技師に求められる能力も、大きく変化しているのである。 今月号の「臨床検査」には「臨床検査の価値を高める」という特集が掲載されているのだが、ここには、そうした臨床検査技師の今後についての提言の記事もあった。 その中で目についたのが、次のような記述である。

仮に前述の "患者への検査説明" を実際に実現していくとするならば, 現在の卒後教育だけでなく, さらに高度な基礎教育が必要になることは間違いない. 全ての人が実施できる業務にすることは極めて難しいと考える.

私は、臨床検査技師がすごくマニアックな勉強をしているカッコイイ人達であることは知っているのだが、具体的にどういった範囲の勉強をしているのかは、よく知らない。 しかし検査部で研修を受けた際の印象では、少なくとも平均的な医師に比べれば、ずっと適切に患者への説明ができるのではないかと思う。 ひょっとすると、これは単に、北陸医大 (仮) の臨床検査技師の基礎医学的水準が高いというだけのことなのかもしれぬ。

もう一つ、気になったのは次の記述である。

さて, それでは教育現場は何を教授すべきなのか. 自ら学び, 自らことを解決していく能力をどのように養成するのか. その能力の育成ツールとして, 指導の行き届いた "研究" は最適であると考える. 自己学習能力や創造力なくして研究は進められない. 研究していく過程を通じて論理的にものを考え, 論理的に解決策を見いだしていく力が養われる. 極論すれば, 大学院生の研究成果 (論文) は副産物であり, 成果を得るまでの行程で身に付けた能力こそが主産物であると考えてもよいと思う.

この記事を書いたのは、東京医科歯科大学の戸塚実教授である。恐ろしく見識の高い人物といえる。 戸塚実、という名には見覚えがあるものの、一体、どこで拝見したのか、すぐには思い出せなかったのだが、ふと本棚をみて、合点がいった。 日本における臨床検査医学の聖典である金原出版『臨床検査法提要』改訂第 34 版の編者であった。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional