これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
初期臨床研修をどこで受けるか、という問題は、少なからぬ医学科生にとって、割と重大な悩みであるらしい。 私の場合は、初めから大学病院以外は論外と思っていた上に、名大病院も早い時期に候補から外れ、悩むことなく北陸医大 (仮) に決めたのだが、こういう例は比較的稀らしい。
多くの人は、まず、大学病院にするか市中病院にするか、で迷うらしい。 私は未だに、市中病院で研修を受けることの利点が理解できない。 市中病院は基本的に給料が高く、厚生連という農協系列の病院であれば月給 50 万円にも及ぶらしいが、 北陸医大病院で月 30 万円、名大病院なら 35 万円であるから、充分に高給である。 だいたい、臨床検査技師などの非医師技術職の初任給は、我が北陸医大の場合で 18 万円程度であることを思えば、我々研修医は、異常な厚待遇である。
他にもっともらしい市中病院の利点としては、common disease を中心に、たくさんの経験を積める、という意見がある。 Common disease という言葉の意味は不明瞭なので、ここでは議論しない。 問題は「たくさんの経験を積める」という部分である。 大学病院での臨床実習の際に、キチンと勉強した人であれば、市中病院、特に、いわゆる野戦病院において、いかなる診療が展開されているか、多少なりとも知っているはずである。 「肺炎像があるから抗菌薬のレボフロキサシンを投与した。それでも治らないからメロペネムに変更した。やっぱり効かないから、大学病院に紹介した。」という類の症例は、 珍しくないであろう。 多くの市中病院では、そういう水準の医療が行われているのである。そういう診療の経験を積んで、一体、何の役に立つというのだろうか。
非専門家のために説明しておこう。 そもそも「肺炎像」という医学用語は存在しないのだが、一部の臨床家は、なんとなく、この語を用いている。 たぶん「肺炎を疑わせるような画像所見」という意味なのだと思う。 で、常識的に考えれば、それが本当に肺炎なのか、仮に肺炎であるならば、感染性なのか非感染性なのか、感染性なら原因は細菌なのか真菌なのかウイルスなのか、 といった具合に、診断を進めていくのが普通である。 ところが、なぜか、世の中には「肺炎像を呈する原因として疫学的に最も多いのは細菌性肺炎だから」というだけの理由で、 その患者が細菌性肺炎であると決めつける藪医者が稀ではない。 しかも、原因菌を検索することすらなしに、「抗菌スペクトラムが広いし、メロペネムよりは罪悪感が少ないから」とレボフロキサシンを投与するのである。 メロペネムというのは、カルバペネム系抗菌薬であって、様々な細菌に効くので便利であり、濫用されている。 そのためカルバペネム耐性細菌が近年、増加しており、本当に必要な時にカルバペネムが効かない、という事態が生じ、問題になっている。 レボフロキサシンは、メロペネムとは異なり細胞内寄生菌にも有効であるなどの特徴があり、これも便利であるから、不適切に使用される傾向がある。 感染症の専門家の間では、このレボフロキサシン濫用も問題視されているのだが、一般の医師には、まだ充分に認知されていないように思われる。 感染症学を修めたことがなく診断能力の低い医者は、こうした広域スペクトラムの抗菌薬を濫用し、耐性菌を世に放ち、次なる患者を死に至らしめるのである。
「肺炎っぽいからレボフロキサシン」という「治療」なら、医学など修める必要はなく、簡単である。 これまで医学を勉強してこなかった者でも、できる。 そうして患者を次々とさばけば、まるで自分が医療に熟達したかのような錯覚を得ることができ、たいへん、快感であろうと思われる。 ただし、免許の問題さえ別にすれば、その程度の診療を行うのに医者は不要であり、看護師と放射線技師さえいれば充分である。
ある教授から、次のようなことを言われたことがある。 目先の高給に釣られて田舎の病院で初期研修を受ける者もいるが、医師としての最初の二年間は、重要である。 そこで水準の低い研修を受ければ、結局、水準の低い医師になる。