これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
昨日の話に、少しだけ補足しておこう。 私は、病理医の卵の分際でありながら、現行の病理診断について批判を加えている。 これを、不遜だ、とか、ナマイキだ、とかいう意見もあるだろうが、私は、そうは思わない。 門外漢だからこそ、つまらぬ「大人の事情」に捉われずに、より公正な観点から批判できるのである。 実際、工学部にいた頃に比べて現在の私は、医者や医療業界に対する批判が、正当な理由なしに緩くなってしまったように思う。 従って、今のうちに病理診断に対して全力で攻撃して、ハードルを上げておかなければ、 いずれ私が本当の病理医になったときの水準が下がってしまうであろう。それを、私は恐れているのである。
さて、過日、たまたま病院の食堂で某教授と一緒になったときに、病理診断に関する 2 つの問題が話題になった。
一つは、病理解剖の話である。 経過について臨床的に疑問点がない場合であっても、病理解剖を可能な限り行うべきではないか、と私は述べた。 この教授は、なかなか野心的な人である。 私とは違ってオトナなので、オブラートに包んだ穏やかな表現ではあるが、次のような意味のことを述べた。 すなわち、病理解剖を行うべきである点には異存はないが、現実問題として病理解剖を行っても、 臨床医や患者にとって有益な情報がどれだけ得られるか、いささかの疑問がある、というのである。 この問題については先月書いたので、ここでは繰り返さない。
もう一つが、AI, 人工知能についてである。 昨今では、チェスや将棋に続いて、囲碁でもトップクラスの棋士が AI に敗北し、コンピューターの「学習能力」の高さが明らかになった。 病理診断についても、特に形態学的診断の部分については、AI の研究が盛んである。 たまたま、今月号の「病理と臨床」で、AI による形態学的診断の特集が組まれていたが、既に、技術的には相当の水準に達しているようである。 専門外の人のために説明しておくと、「病理と臨床」というのは、文光堂が出版している月刊誌であって、病理診断学の業界では日本で最も有名な雑誌である。 私は、これを時々図書館で眺めていたのだが、ある指導医から「自分で購読した方が良い」と勧められたので、今年から、年間購読することにした。 私は、指導医の言うことには素直に従う、良い子ちゃんなのである。
なお、雑誌といえば The New England Journal of Medicine という週刊誌は、しばしば面白い記事が載っているので、気楽に眺めるのがお勧めである。 図書館で読んでも良いし、学生や研修医であれば年間 3 万円弱で購読できるので、個人で買っても良い。 なお、この雑誌は「週刊新潮」などの娯楽週刊誌と同じようなものであって、パラパラとめくり、面白そうだと思った記事だけを読めば良い。 マジメな学生や研修医の中には、全ての記事を読もうとする者もいるだろうが、まず間違いなく飽きて嫌になるので、やめた方が良い。
閑話休題、教授は、いずれ病理診断の分野において病理医の地位が AI に脅かされるのではないか、などと心配してくれた。 しかし私は、そんなことはない、と考える。 もちろん、形態学的診断しかできず真の病理診断を知らぬ病理医は、AI に駆逐されるであろう。 結構なことである。AI にできることを、高い給料を払ってまで、人間の医者にやらせる必要はない。 一方、本当の病理医であれば、むしろ AI を駆使することで、より効率的に診断業務を遂行し、 AI の手に負えない非典型症例に思考を集中することができるようになるであろう。 私は、本当に、良い時代に生まれたと思う。
ところで、万が一にも誤解されては困るので明記しておくが、本日の記事には、一箇所だけ、嘘がある。それがどの部分であるかは、言うまでもなかろう。