これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/01/10 プロフェッショナリズム

昨日の記事で、大事なことを書き忘れていた。 言うまでもなく、研修医にとって最も重要な仕事は、勉強すること、である。 研修医は医師免許を持った学生である、と言っても良かろう。 その意味では、私はたぶん、北陸医大 (仮) の研修医の中で、キチンと仕事をしている部類に属すると思う。

また 1 月 5 日の記事で、subglycocalyx から間質に向かう流れが拡散ではなく一方向性である、という事実を明記していなかったので、追記した。 古典的スターリングの法則では、水の移動は全て拡散である、と暗に仮定されていたが、これが誤りなのである。

さて、プロフェッショナリズムという言葉は医療用語でも何でもないが、近年、医学科生や医師に対する教育の場において多用されているらしい。 ただし、この言葉の正確な意味は、よくわからない。 私にとってわからないだけでなく、たぶん、皆、あまりよくわからないまま、なんとなく使っているのではないか。 使う人によって意味がマチマチでコミュニケーションの役に立たない言葉の一つであろう。 だから、私は自分では「プロフェッショナリズム」という言葉は、使わない。

ある教授と食事をした時、プロフェッショナルな医師とは、どういう医師のことを言うか、と問われた。 もちろん、私も教授も、プロフェッショナルという語の意味が曖昧であるという認識は持っており、その上で、あなたはどう考えるか、という問いである。 私は、一瞬だけ迷った後に「診断や治療の方針を、自分の責任において決定・提案できる医師のことである」と答えた。

何をあたりまえのことを、と、思う読者もいるかもしれない。 しかし、私が言っているのは「ガイドラインにどう書いてあるか」とか「エラい先生がそう言っていたから」とかいうことに従うのではなく、 診断や治療戦略の責任を自分の頭脳で担うことができる医師、という意味である。 臨機応変に、ガイドラインの定める「標準」から外れた診療を行うことができる医師、と言い換えても良い。 これを現に行うことができている医師は、稀である。 何を言いたいかというと、そこらへんを歩いている医者の多くはプロフェッショナルではなく、アマチュアだ、ということである。

先に「一瞬だけ迷った」と書いたが、実は私の本音では、「プロフェッショナル」と称するためには、もう少しだけ高い水準を要する。 すなわち、プロフェッショナルとは、不可能性を証明することなしには「できない」と言わない人のことをいう。

研修医や若い医師に対し、医学・医療の理想について話すと、しばしば「そんなの、無理だよ」「それは理想論であって現実離れしている」「君がやってみろ」などと言われる。 時には、私が学生時代に名古屋大学でみた程度の診療行為について「君は臨床を知らないから、そんな理想論を言うのだ」などと言われたこともある。 臨床を知らないのは、一体、どちらなのか。 プロフェッショナルとしての誇りを欠如していると、言わざるを得ない。

私は病理医の卵であるが、研修医などとの内緒話においては、現在の病理診断のあり方に対する批判を激しく展開している。 かなり無茶な要求をしている部分もあることも、理解した上でのことである。 そして私が晴れて病理医になった暁には、この批判は、全て、私自身に向かってくるわけである。 私は、病理学・病理診断学のプロフェッショナルになるわけだから、当然、そうした批判には全て、応えなければならない。


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