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2017/01/05 スターリングの浸透圧の法則の破れ

スターリングの浸透圧の法則が誤りであることを最も明快に示したのは、C. C. Michel である (J. Physiol. 388, 421-435 (1987).)。 Michel は、腸間膜の毛細血管を用いた実験で、血管内静水圧を変化させた際に血管壁を透過する水の量を測定した。 それによると、静水圧を変化させた直後には、一過性に、スターリングの法則に従う水の透過が認められたが、 充分な時間が経過した後の定常状態においては、スターリングの法則は成立しなかった。 特に、血管内静水圧を充分に低くした場合においても、間質から血管内への水の移行はみられず、むしろ、僅かではあるが血管内から間質への水の移動がみられた。 この実験結果について Michel は、「間質のうち血管に近い領域における膠質浸透圧」は「『血管壁を透過する膠質の量』を『血管を透過する水の量』で除したもの」に一致する、 と仮定することで、数学的に説明可能であることを示した。

こうした実験事実を合理的に解釈するために生理学者達が議論を重ねた結果、Revised Starling Principle などと呼ばれるモデルが提唱された (Levick JR et al., Cardiovascular Res. 87, 198-210 (2010).)。 これは、次のような解剖学的背景に基づいている。 まず、血管壁の内腔側には、糖衣 glycocalyx の層がある。この層は、アルブミンなどの膠質をほとんど透過しないが、水は少しは透過する。 糖衣の外には血管内皮細胞がある。隣接する内皮細胞同士は tight junction で強固に結合しており、ほとんど水を通さない。 ところが、よくみると tight junction には僅かな隙間があり、ここを通って、かろうじて、水は基底側に移動することができる。 なお、内皮細胞にはアクアポリンがほとんど発現していないので、細胞内を通る水の移動は、非常に少ない。

このように、血管内と間質の間には、糖衣と内皮細胞に挟まれた狭い空間があり、subglycocalyx space などと呼ばれる。 スターリングの法則は、血管内と subglycocalyx space の間でのみ成立し、subglycocalyx space と間質の間では、もちろん、成立しない。 Subglycocalyx から間質への水の流れは、物理学でいうところの拡散ではなく、基本的には一方向性の流れである、という点が重要である。 スターリングの法則では、水の移動は全て拡散である、ということが暗に仮定されていたが、どうも、それは事実に反するらしい。

たとえば Michel の実験において、血管内静水圧を急激に低下させた直後は、間質から subglycocalyx space に向かって水が流れるので、 血管内と間質の間でスターリングの法則が成立しているようにみえる。 しかし、続いて subglycocalyx space に膠質が貯留し、膠質浸透圧が徐々に高くなるので、やがて、血管内への水の移行は止まり、 むしろ、血管から間質への緩徐な流れを有する状態で平衡となる。

さて、スターリングの法則を信じるならば、たとえば大量出血した患者に対し、生理食塩液やリンゲル液といった、いわゆる晶質液を投与すると、 その水は血管内と血管外に等しく分布することになる。 一方、たとえば等張アルブミン液のような、いわゆる膠質液を投与した場合、その水は血管内に留まる、ということになる。 従って、大量出血などに対しては膠質液を投与することが望ましい、とする意見があった (Twigley AJ et al., Anesthesia 40, 860-871 (1985).)。 現代においても、高張デンプン溶液などを「代用血漿」などとして投与する医師もいる。 しかし昨今では、晶質液を投与した場合と膠質液を投与した場合とで、スターリングの法則から予想されるような差は生じず、利益に乏しいことが知られている。 それどころか、膠質液の投与は腎傷害などを来す恐れがあるので避けるべきである、という意見が現在では多数派である (Webb A et al., Oxford Textbook of Critical Care, 2nd Ed., (2016).)。 すなわち、スターリングの古典的なモデルでは、血漿と組織液の実際のバランスについて、正しく説明することができない。

これに対し Revised Starling Principle においては、膠質液投与後には subglycocalyx space の膠質浸透圧が徐々に上昇する。 というのも、glycocalyx を通って少しずつではあるが膠質が subglycocalyx space に移行するからである。 結果として血管内と subglycocalyx space の浸透圧差は消失するので、膠質液には、投与直後の一時期を除けば、水を血管内に留める効果はないことがわかる。

また、ネフローゼ症候群などにおいて、低アルブミン血症が浮腫の原因となる、という俗説が誤りであることも示すことができる。 すなわち、低アルブミン血症では subglycocalyx space の膠質浸透圧も低下するので、結局、血管内から間質への水の移行は亢進しないのである。

2017.01.10 追記

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