これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/05/15 カルテをキチンと書くこと

カルテをキチンと書かない、あるいは書けない医師は、多い。 これは何も北陸医大 (仮) のことを言っているのではなく、名古屋大学や、あるいは学生時代に見学した市中病院でも、だいたい、似たような状態であった。

現代では、カルテはSOAP 形式で 書くのが主流である。 つまり、本来であれば、患者の訴えを <S> に記し、診察や検査の所見を <O> に書く。 そして、何が問題なのかを考察して <A> に記載し、 追加検査や治療の計画を <P> に記載する。 ところが、この <A> の部分をキチンと書かない医師が多い。 その結果、別の医師等がカルテを読んでも、主治医が何を考えて、その検査や治療を 行ったのか、理解できないのである。

しばしばみられるのが、「感染があるかもしれない」とか「感染があるか」とかいうような 曖昧な表現である。 なぜ、わざわざ語末に「か」などとつけてボカすのか。 感染があると思っているのなら「感染があると考えられる」と明記するべきである。 ないと思っているが念のため、というなら「感染を否定できない」などとすれば良い。 「あるかもしれない」では、記載者がどのように考えているのか、わからないのである。

さらに酷いカルテになると、<P> の部分に「CT を撮るか」などと書かれていることがある。 一体、撮るつもりなのか、撮らないつもりなのか、わからない。 こんな記載に、一体、何の意味があるのか。

自信がないからボカしてしまう、という気持ちは、わからないでもない。 しかし、それでは、読んだ人が困るのである。 さらに言えば、こうした曖昧な表現をして「間違ったことは書いていない」などと主張しても、 それで責任を逃れることはできない。 そもそも、自分が不勉強で判断能力が足りないからといって、 言葉を濁して責任を逃れようなどという姿勢自体、医師としての資質を欠くと言わざるを得ない。

しかし、たとえ曖昧であっても、<A> に何らかの記載があるカルテは、いくらかマシである。 中には「発熱があるから抗菌薬を投与する」というような、 考察を完全に省略した謎の論法を展開する医師が存在する。 こうなると、もう、話にならない。 常識的には「発熱がある」という事実から「抗菌薬を投与する」という治療には直結しない。 なぜ、その医師が抗菌薬を投与しようと考えたのか、全くわからないのである。

たぶん、何も考えていないのだろう。 一部の研修医や若手医師は、何も考えずに、診察や検査の所見から、パターン認識と、 予め定められたアルゴリズムに従って、機械的に治療を開始するようである。 そういう医師にとっては、「発熱があるから抗菌薬を投与する」という「論理」が成立するのだろう。


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