これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
私は名古屋大学の出身であるが、北陸医大 (仮) に研修医として赴くにあたり、元同級生からは、さんざんなことを言われた。 「君は北陸医大の学生や研修医の質に過大な期待を抱いているようだが、名古屋大学よりマシなはずがないだろう」とか、「数年後、君は『北陸の連中はカスばかりだ』などと言って東京に移るであろう」とか、「北陸にユートピアがあるとでも思っているのか」などという具合である。 実に、失礼な話である。
私は学生時代、「医学的思考を養うため」として、The New England Journal of Medicineの Case Records of the Massachusetts General Hospital を学生だけで輪読して議論する勉強会を行っていた。 これは、学生だけで行っていたことに重大な意義がある。というのも、対等の立場にある者同士だからこそ忌憚ない議論を行いやすいのであって、もしエラい先生が臨席していようものなら、大抵の学生は萎縮し、ただ受身に教えてもらうだけになってしまう恐れがある。 この勉強会は、2014 年 2 月から 2015 年 7 月にかけて計 51 回、行われた。最盛期には三学年にわたる 7, 8 人の学生が参加したように記憶しているが、やがて漸減し、ついには参加者が私一人となり、自然消滅した。 人が集まらなかった原因として複数の同級生らに指摘されたのは、「何を学べるのかわかりにくい」というものである。つまり、学生は役立つ知識や経験を求めて勉強するのだから、何が得られるのか明確に示さなければ、誰も関心を持たない、というのである。
こうした勉強会の目的は「医学的思考を涵養する」ということであるし、そのことは、私も明言していた。しかし、それでは伝わらなかったようである。 多くの学生は「医学的思考」というものを、「○○の場合には△△を疑う」というような、パターン化された診断方法、あるいは治療アルゴリズムを覚えることである、と認識しているように思われる。 結局、暗記と実践に過ぎないのである。 しかし、「考える」というのは、本当は、そういう行為を指すのではない。 教科書に書かれていること、ガイドラインに書かれていることを実行するだけなら、看護師や技師で十分なのであって、医師など不要である。 あるいは、あと 10 年か 20 年もすれば、医療用コンピューターが進歩し、ガイドライン的な診断は生身の医師よりも正確に行える時代が来るであろう。
では、「考える」とはどういうことなのか、と問われると、困る。 これまで「考える」ということをせずに、ひたすら暗記ばかり行ってきた人々に対して、言葉で理解させることは、私にはできないからである。 これは私の説明能力の問題ではなく、たとえば自転車の乗り方を口で説明して修得させることが困難なのと、同じようなものであろう。 だから私は、名古屋大学時代には「みせる」ということに徹した。 考えるとは、どういうことなのか、学ぶ姿勢とは、どういうものなのか、ということを、私にできる範囲で、実践してみせたのである。 私に同調する者はいなくとも、「同級生に、そういう学生がいた」という記憶は、五年、十年後の彼らに、何らかの良い影響を与えるであろうと期待したわけである。 幸いなことに、これは、一部の学生には正しく伝わったらしい。 一学年下の友人の某君も、私の意図を正しく理解してくれた人物の一人である。彼は、私の卒業が近づいたある日、「名古屋を去ったことを、いずれ後悔させてあげますよ」などと言い放った。つまり、今は崩壊している名古屋の医学を再建してみせる、と宣言したのである。 彼の決意に私がどれだけ影響を及ぼしたのかは知らないが、少なくとも、私が名古屋で過ごした四年間は無駄ではなかったように思う。
さて、北陸の話である。 我が北陸医大には、教育に対する熱意のある教授は少なくないが、学部教育においては、学問に対する姿勢や、医学を修めるとはどういうことか、という根本的な問題について、学生に伝えることに失敗しているようにみえる。 基本的には、北陸医大の学生や研修医の質は、名古屋大学などより劣るものではない。 しかし不幸なことに、北陸医大には、自分達は地方大学に過ぎぬ、などというような卑屈な精神が蔓延しているようである。 この点についてだけは、北陸医大は、名古屋大学より明確に劣る。
まずは、我々こそが明日の医学を切り拓くのだ、という気概を植えつけるところから、始めねばなるまい。