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過去にも何度か書いたが、医学、特に臨床医学においては、専門用語の定義を曖昧にしたまま、なんとなくの議論を展開する者が多い。 臨床的に重要であるにもかかわらず定義が曖昧な言葉の筆頭は貧血であろうが、「横紋筋融解」という語も、かなり怪しい。
横紋筋融解とは、英語でいう rhabdomyolysis のことである。 この語の定義としては、米国の A. Patricia らの用いたものがわかりやすい(A. Patricia et al., Medicine, 61, 141-152 (1982).)。
Skeletal muscle injury, reversible or irreversible, that alters the integrity of the cell membrane sufficiently to allow the escape of cell contents into the extracellular fluid.
可逆的または非可逆的な骨格筋傷害により、細胞膜の健全性が損なわれ、結果として細胞内容物が細胞外液に脱出するものをいう。
私自身は、この定義が最も合理的で適切であるように思うのだが、少なからぬ医師は、これよりも狭い意味で「横紋筋融解」という語を使うようである。 たとえば、一部の臨床医が好んで用いるオンライン教科書であるUpToDateでは、次のように述べている。
Rhabdomyolysis is a syndrome characterized by muscle necrosis and the release of intracellular muscle constituents into the circulation.
横紋筋融解とは、筋の壊死と筋細胞内の構成成分の血流への放出とを特徴とする症候群である。
つまり UpToDate の流儀によれば、筋が壊死しておらず可逆的である例や、細胞内容物が組織液に留まり血中にはほとんど出現しないような例は、横紋筋融解ではない、ということになる。 しかし、病理学的観点からいえば、このように限定することに意味があるとは思われない。
なお、医学書院『医学大辞典 第 2 版』では、「横紋筋融解症」を「種々の原因により骨格筋細胞が急激に破壊されて, 筋肉の細胞成分が血液中に流入する病態。」としている。 「血液中に流入」を要件としている点では UpToDate に似るが、「急激に破壊されて」と限定している点において、さらに意味が狭くなっている。
このように「横紋筋融解」という語の定義はよく定まっていないようであるが、たぶん、これは、考え方に様々な派閥があるのではなく、単に、多くの医師がキチンと物事を考えていないというだけのことである。 彼らは「横紋筋融解」という語を、漠然と「筋細胞が壊れて、クレアチンキナーゼなどが血中に放出されるもの」ぐらいにしか認識していないから、たとえば「筋細胞が壊死していないものは横紋筋融解に含めるのか」と問われると、困って、それぞれがバラバラのことを言い始めるのである。
この定義の不統一は、重大な問題である。 たとえば臨床的には、血中クレアチンキナーゼ活性の上昇は、様々な薬剤によって比較的高い頻度で引き起こされる。上述の A. Patricia らの流儀でいえば、これは軽度の rhabdomyolysis であると考えられる。 しかし、少なからぬ医師は UpToDate 流の定義に従って、「これは横紋筋融解ではない」と主張するようである。
こうした定義の食い違いは、実に無駄な論争を引き起こす恐れがある。 そこで私は、基本的に「横紋筋融解」という語を避け、代わりに「骨格筋傷害」などの語を使うことにしている。