これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/05/06 原発性中枢神経系リンパ腫

原発性中枢神経系リンパ腫 (Primary Central Nervous System Lymphoma; PCNSL) というのは、名前のとおり、脳などに生じる原発性のリンパ腫のことである。原発性というのは「他の部位によって生じたリンパ腫が転移してきたものではない」という意味である。 脳リンパ腫に対する治療法としては、外科的切除や放射線照射の他、化学療法が用いられる。しかし遺憾ながら、いずれにせよ、予後は極めて不良である。 本日の話題は、この PCNSL に対する化学療法についてである。

PCNSL に対する化学療法にしばしば用いられるのが、高用量メトトレキサート (MTX) 療法である。この治療法は「フォリン酸救援療法」とも呼ばれるのだが、その概略については2014 年 2 月 に書いた。この治療法の基本戦略は、血液脳関門などに阻まれて抗癌剤が届きにくい中枢神経系腫瘍などに対して、大量の MTX 投与により腫瘍細胞内の MTX 濃度を高める一方、フォリン酸の投与により正常細胞を選択的に MTX の細胞毒性から「救援」する、というものである。

北陸医大 (仮) で同期の研修医である友人の某君と脳腫瘍について語り合っていた際、私は、ふと疑問を口にした。 脳のリンパ腫は、典型的には、CT や MRI における造影効果が強い、とされる。 常識的に考えれば、これは、病変部では血液脳関門が破綻しており、造影剤が腫瘍内部に流れ込んでいることを意味する。それならば、フォリン酸救援療法などという強引な手法を用いなくても、中枢神経系以外のリンパ腫と同様に、リツキシマブなどを用いた化学療法が奏効するはずではないか。 しかし医学書院『標準脳神経外科学』第 13 版などをみると、そうした通常の化学療法は無効であるという。 これは、一体、どういうことなのか。

この問題については、25 年前に英国の Ott らが興味深い報告をしている (R. J. Ott et al., Eur. J. Cancer, 27, 1356-1361 (1991).)。 これによると、PCNSL に対して抗癌化学療法を開始すると、腫瘍の造影効果は速やかに失われるが、腫瘍細胞自体は残存する、というのである。 造影効果が失われるということは、血液脳関門が復活しているのだと考えられる。このため、抗癌剤が腫瘍細胞に届かなくなり、治療効果が失われるのである。

抗癌化学療法を開始すると血液脳関門が復活する、という不思議な現象は、次のような機序によるものと考えれば、合理的に説明できる。 `Rosai and Ackerman's Surgical Pathology 10th Ed.' によれば、PCNSL の典型的な組織像では、血管周囲で腫瘍細胞が増殖し、しばしば腫瘍細胞が血管壁を貫いているという。 この血管自体は反応性に形成されたものであって腫瘍ではないから、基本的にはアストロサイトを伴っている。しかし腫瘍細胞の存在ゆえに血液脳関門は不完全になり、高い造影効果を示すのである。 こうした病変に対し抗癌化学療法が行われると、まず血管に近い部分の腫瘍細胞が死滅するであろう。 すると、血管から遠い部分の腫瘍細胞は残存しているにも関わらず、血液脳関門は回復する。 その結果、残存している腫瘍細胞に抗癌剤が届かなくなってしまうのである。

そこで、血液脳関門の働きを一過性に妨害することで腫瘍細胞に抗癌剤を届ける、という治療戦略が提案された。 この革新的治療戦略を紹介したいのだが、いささか記事が長くなってきたので、続きは後日にしよう。


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