これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/04/28 抗菌薬

日本には、感染症学をキチンと学んだ医師は少ないのではないかと思う。 名古屋大学医学部の場合、三年生の頃に「微生物学」として感染症について素晴らしい講義や実習が行われていたが、臨床的観点からの「感染症学」は、ほとんど教えられていなかった。 たぶん、神戸大学や富山大学などといった一部の例外を除いては、どこの大学でも名古屋大学と似たような状況であろう。 しかし研修医になると、自分が担当した患者が感染症を合併したり、あるいはその疑いが生じたりして、どう対応すれば良いのかわからず、困る。 そこでアンチョコ本をみたり、エラい先生に相談したりして、いきあたりばったりの対応をする者が少なくない。 しかし、大抵、その「エラい先生」も感染症学を勉強していないし、アンチョコ本は、そういう不勉強な医師に合わせた低レベルで不正確な内容を書いているので、結局、デタラメな治療が世にはびこるのである。

若い研修医が犯しやすい典型的な過ちは、「まずは基本的な教科書を買おう」と言って、「抗菌薬の使い方」というような、薄いマニュアル本を購入することである。 そういう本は、ひょっとすると書かれている内容自体は正しいかもしれないが、その背景にある理論や基礎的な事項が省略されているため、いくら読んでも、感染症学の基本を身につけることはできない。

例として、次のような症例を考えよう。 67歳男性が、肺炎と診断された。血液培養や喀痰培養の結果、Pseudomonas aeruginosaが検出された。緑膿菌である。幸い、特別な薬剤耐性はついていないようである。 さて、マニュアルをみると、緑膿菌に対してはペニシリン系のピペラシリンと、βラクタマーゼ阻害薬であるタゾバクタムの合剤が推奨される、と書かれていた。

ここで「そうか、緑膿菌にはタゾバクタム・ピペラシリンを使えば良いのか」と考えるのは、素人である。 そういう発想で診療にあたるぐらいなら、医者などいらぬ。マニュアルを持った看護師が一人いれば、それで十分なのである。 我々は医師なのだから、せめて「なぜピペラシリンなのか」という疑問ぐらいは、呈さねばならぬ。

少し上等なマニュアル本であれば、「緑膿菌は大抵のペニシリン系抗菌薬に耐性だが、ピペラシリンには抗緑膿菌活性がある」というようなことが書かれているかもしれぬ。 この説明で納得するのは、素人に毛が生えた程度の医者である。 「抗緑膿菌活性」という言葉は非常に曖昧であり、平たくいえば「緑膿菌に効く」というぐらいの意味である。何の説明にもなっていない。

そこで、もう少し詳しい専門書を開くと、たぶん次のような説明が書かれているであろう。 「緑膿菌の多くの株では、βラクタム系抗菌薬の存在下で、AmpC が誘導的に発現される。これはペニシリナーゼの一種であり、ピペラシリンを含めほとんどのペニシリン系抗菌薬を分解する。しかしピペラシリンは、この AmpC を誘導する作用が乏しいため、緑膿菌にも有効なのである。 ただし近年は AmpC を構成的に発現する株も増えており、もちろん、そうした株はピペラシリン耐性である。」

「基本」というのは、こうした背景のことをいうのであって、結果の「効く」「効かない」をいうのではない。 こうした基本を理解して、初めて、知識の応用が可能になるのだ。

もし感染症学の基本的な教科書を探している学生や研修医がいるなら、私は J. E. Bennett et al., Principles and Practice of Infectious Disease 8th Ed. をお勧めする。


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