これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
過日、現在研修を受けている診療科の教授の紹介により、某有名製薬会社主催の勉強会に参加した。 内容は、某大学教授と、その関係者による講演であって、座長は別の某大学教授であった。 詳しい内情は知らぬが、たぶん、この教授のどちらかが実質的な主催者であろう。 会場の確保や、運営スタッフの派遣、開催費用などは製薬会社が負担していたものと思われる。 しかし、製薬会社がこうした形で病院関係者に利益供与することには倫理的な問題があるから、「製薬会社が主催して、教授に講演を依頼した」という形式にしているものと思われる。 会の冒頭に製薬会社からの「情報提供」が行われたのは、経理的に宣伝広告費のような扱いにするためであろう。
参加費はもちろん無料であり、軽食として上等なサンドイッチが供された上、交通費としてタクシーチケットも事前に渡されていた。 これらの費用は製薬会社の負担であるが、元をただせば、薬代を払っている患者や国民の金である。 従って、医療倫理からいえば、こうしたタクシーチケットを受け取り、サンドイッチを食べることは、医師として好ましいことではない。 私としては、そんなタクシーチケットを使わずにバスで会場に向かった方が気分は良いのだが、そういうことをすると教授に迷惑がかかるから、いわゆる「大人の対応」として、おとなしくタクシーで病院から会場に向かった。
もし、私を知っている人が上の話を読んだなら、「あいつも、とうとう、信念を曲げたか」などと思い、あるいは私に失望するかもしれない。 実際、京都大学時代の私は、周囲と衝突しようが、准教授の不興を買おうが、構わずに自分の信じる道を進んだ。それを思えば、今の私は、確かに、何かを失ってしまったといわざるを得ない。 しかし、ここで戦って、排斥され、自身の才能を発揮する機会を奪われてしまうことは、私だけでなく、人類社会全体の重大な損失である。 それを回避するためには、不条理で非道徳な社会的慣行に、今は耐えて従うこともやむを得ない、と考えている。
こういうことを書くと、「教授にニラまれるのが恐ろしく、戦う勇気がないだけなのに、見苦しく言い訳しているのだろう」などと解釈する人もいるであろう。 実際、名古屋大学時代に私は、そうやって「戦わない理由」を一生懸命に探して自己弁護する学生を少なからずみてきた。 そうした学生と私は違う、ということを証明することはできないが、私自身は、自分が勇気を欠いているわけではないことを知っているし、それで十分である。
かつて私は、学術研究における姿勢・方針を巡る教授との悶着のために、原子炉物理学界を離れた。 当時は、それなりに周囲から期待されていたのに、それを裏切って、医学に逃げたのである。 その原子炉物理学の人々に対して恥じねばならぬ行いをするぐらいなら、私は、医師を辞める。