これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
たまには医学の専門的なことも書かなければ、私が北陸に行って馬鹿になってしまったと思われるかもしれぬ。我が北陸医大 (仮) の名誉を守るために、今日は、標題の疾患について書くことにしよう。
中毒性ショック症候群 (Toxic Shock Syndrome; TSS) というのは、症候群と呼ばれているが、実際には単一疾患である。 感染症学の名著である `Principles and Practice of Infectious Disease 8th Ed.' によれば、これは Staphylococcus aureus が産生する toxic shock syndrome toxin 1 (TSST-1) と呼ばれる毒素などにより全身性炎症反応を来たす疾患であって、循環不全を来し、時に致死的となる。 細かいことをいえば、原因毒素は TSST-1 に限られず、エンテロトキシンと呼ばれる毒素であっても TSS に含めるのが一般的である。これらの毒素は、いわゆるスーパー抗原であって、宿主の免疫系を刺激する作用を持つ。 なお、Streptococcus 属菌も TSS と同様の疾患を来すことがあるが、これは Streptococcal TSS として区別するのが一般的なようである。
歴史的には、TSS は月経中にタンポンを使用する女性に生じるとされた。これは、タンポンの適切な交換を怠った場合などに、月経により粘膜を損傷した子宮から S. aureus に感染するものと考えられる。 しかし1980年頃より、TSS は月経とは必ずしも関係なく、S. aureus 感染に伴って生じる疾患であることが報告されてきた。
さて、慢性副鼻腔炎に対する手術後の TSS について、興味深い症例報告があった (麻酔, 45, 994-997 (1996).)。日本語で書かれた短い症例報告なので、読める環境にいる人は、寝る前にサラリと一読されると良い。 要約すると、手術後に一週間以上が経過してから TSS を来した症例なのであるが、鼻汁などからは S. aureus が検出された一方で、血液培養では S. aureus を検出できなかったらしい。 血液培養陰性、ということは、素直に考えれば、原因菌である S. aureus は副鼻腔のあたりに留まり、ほとんど血液中には移行しなかったのだと考えられる。
原因菌の血中への移行なしに循環不全を来して重篤化する、などということが、本当に、あるのだろうか、と疑問に思うのは健全なことである。 この問題については、1994年の Miwa らの報告 (J. Clin. Microbiol. 32, 539-542 (1994).) が、少なくとも部分的には回答を与えている。 この報告によれば、血液培養陰性である患者の血液中に TSST-1 が検出されることはある、というのである。どうやら、この毒素は生体内でも分解されにくいようである。体のどこかに生息している S. aureus が産生した TSST-1 は、たぶんリンパ管から静脈へと入り、全身を巡るのであろう。
以上の議論からわかるように、血液培養陰性であることは、TSS である可能性を否定する根拠にはならない。このことをよく認識していないと、本当は TSS である患者を「不明熱」などと診断してしまう恐れがある。 臨床検査は、「感度」「特異度」などという曖昧な概念だけでなく、キチンと理論的に理解することが重要なのである。