これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
血液検査の結果を、患者本人に説明する機会があった。 こうした説明はたいへん難しいし、私は、あまりうまくできなかった。 他人に説明する以上、自分自身が検査結果について完全に理解していることは最低限、必要である。 マニュアル本の記載や、指導医の説明を受け売りするなどというのは、言語道断である。 私の場合、それについては、まぁ、大丈夫だと思うが、問題は、それをどう伝えるか、ということである。
患者の中には、「難しいことはよくわからないから、概要だけ教えてくれ」というような人もいる。 実際、医学や生物の素人で、しかも 90 歳になろうかという老人に対し、検査結果を正確に伝えるなどということは、まず不可能である。 そういう人に対しては、いささか医学的に不正確であったとしても、「わかりやすく」「かみくだいて」説明するべきであろう。 私は、これが苦手である。 「かみくだく」技術が乏しい、という面もないではないが、それ以上に、かみくだいた結果として生じる医学的不正確さが、気持ち悪いのである。
これは、「患者が納得するなら、それで良い」などという単純な問題ではない。 現代では、治療方針等の決定権は、原則として、患者本人が独占することになっている。 本人とコミュニケーションをとることが不可能であるような場合を除いては、医師にも、家族にも、治療方針を決定する権限はないのである。 もちろん、患者には、決定を専門家である医師に委ねる権利も認められるべきであろう。 ただし、その場合でも、可能な限り患者本人に正確な情報が与えられた上での委任でなければならない。 巧みな話術と不十分なインフォームドコンセントで患者の満足感だけを獲得するやり方は、非倫理的だからである。 従って、検査結果を実現可能な範囲で最大限正確に伝えることは、医療行為を行う上で、必須なのである。
また、かみくだき方の問題もある。 たとえば、しばしば血液検査で測定される AST や ALT といった項目について、中には「肝機能が悪くなると上がる数値です」という説明で満足する人もいるかもしれない。 しかし、たとえば物理学に長けた人であれば「肝機能って何のことだよ」とか「そんな都合の良いものがあるわけないだろう」と考え、こうした説明をする医師に対して不信感を抱くであろう。 実際、その通りなのである。AST や ALT は、本当は、肝臓の機能を反映する指標ではない。 そういう鋭い人には、「肝機能」などと誤魔化すのではなく、「AST や ALT というのは、肝臓の細胞に含まれている高分子のことです」ぐらい言った方が、納得してもらえるに違いない。
このように、検査結果を説明するに際しては、相手の学識や認知能力に応じて、臨機応変な対応をしなければならない。これは極めて高度な、難しい技である。 これに対し、イチイチ患者背景に併せて丁寧な説明などしていたら、手間がかかって臨床が回らなくなる、という意見もあるかもしれぬ。 しかし、そういう言い訳を認めるわけにはいくまい。 それは医療者側の都合であって、患者にとっては関係のない話なのである。