これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
過日、北陸医大 (仮) 附属病院の某診療科で催された花見に参加した。私は現在、この診療科で研修を受けているのだが、ここの教授が、立派な人物なのである。
名古屋大学にせよ北陸医大にせよ、医学教育のあり方を巡る根深い問題を抱えている。学生の大半は、試験に合格し、医師免許を獲得し、既存の枠組みの中で出世することばかりを考えている。 その枠組みを自らが構築しよう、明日の医学を切り開こう、などとは微塵も考えていないのである。 その証拠に、よくわからない問題に遭遇したとき、多くの学生は、すぐに「エラい先生に訊いてみよう」などと言い出す。 皆がこのようであっては、いずれ医学は衰退し、医療は崩壊することが明白である。 それに対する教授陣の問題意識、改革意欲についていえば、私は、名古屋大学より北陸医大の方が先進的であると考えている。 そう見込んだからこそ、「都落ち」などと揶揄されながらも、この北陸の地にやってきたのである。 そして幸運にも、さっそく、見識の高い教授と出会うことができた。
私は名古屋大学時代に一度だけ、学部教育委員会に出席したことがある。これは 10 人程度の教授によって構成される委員会であって、私は「講義の際に学生の出欠を確認し、出席率が 50% に満たない学生には試験の受験資格を認めない」という制度の撤廃を求める学生側の請願について、参考人として参加したのである。 この請願は、平たく言えば「天下の名門、名古屋大学において、講義の際にイチイチ出欠を確認するなどというのは幼稚であり、恥ずかしい」という趣旨のものであった。 当時の医学科二年生から五年生の学生から請願への賛同の署名を募ったのだが、結局、加わってくれた学生は全体の 1 割にも満たなかったように思う。 ただ、私は、数の問題ではない、と考えていた。 これは、多数決ではなく、名古屋大学の誇りの問題なのだ。 学生から「恥ずかしいではないか」という声を発することが重要なのであって、それを聴いてなお教授陣が何も行動しないようであれば、名大医学科に未来はない。
学部教育委員会では、少なからぬ教授が請願の趣旨を理解してくれたものの、昨今の社会情勢にあっては出欠を確認することはやむを得ない、という論調であった。 その中で、ある教授は「署名といっても、学生の 1 割にも満たないのだろう」というような発言をした。問題の本質を全く理解していない暴言である。 何より遺憾であったのは、この暴言に対して「いや、数の問題ではない」という発言をする教授が一人もいなかったことである。 名古屋大学というのは、そういう大学なのである。
さて、冒頭で紹介した教授の話である。 花見の席上で、私は、教授に対して不満を述べた。 学生に対する講義などの際に「国家試験対策」というような言葉を使いすぎではないか、と批判したのである。 私は、国家試験を強く意識した「教育」は教授にとっても不本意であることも、そういう指導をしなければならない事情もわかっている。 こうした指摘をすれば教授が困ることまでも理解した上で批判したのだから、イヤラシイと言えなくもない。
しかし教授の凄まじいところは、「国家試験対策を強調するのは、やむを得ないのだ」というような正当化をしなかった点である。 詳細は敢えてここには記さないが、教授は、学生に対する教育のあり方について悩みに悩みぬいて、ついに、自身が心の底から納得できる結論に至り、実践しているようである。 その信じるところを、率直に、私に語ってくれた。
教育制度を改革しようとするならば、いくらエラい先生だけが頑張っても、無理である。 教育を受ける側の者が、それに呼応して声を上げ、古い体制を揺さぶっていかねばならない。 名古屋大学には、改革しようというエラい先生がいなかった。 北陸医大では、教授陣の思いに応える若者が少なかった。
私は、ここに来て正解であった。