これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/04/06 質問をすること

医学において、学会やカンファレンス等で質問をするとき、その目的は 3 つに大別できよう。

第一は、学術上、あるいは臨床上、重要な意義のある情報を引き出すための質問であって、たとえば、示された実験や統計について、その妥当性を検討するための質問である。 第二は、発表者や他の聴衆に対して何らかのメッセージを発するための質問であって、たとえば、発表者が見落としている問題を指摘するような質問が該当する。 そして第三は、明確な意図はないものの、とにかく何か質問しようとして無理やり発する質問である。

学生の場合、とにかく質問を発するということ自体に重大な意義があるから、上述の「第三」にあたるような内容で構わないから、とにかく、何か発言するべきである。 とはいえ現実には、あまりくだらない質問をしては申し訳ない、あるいは恥ずかしいと考え、萎縮し、なかなか質問できない学生が多いであろう。 本当は、どんなくだらないトンチンカンな質問であったとしても、質問をする者の方が黙っている者よりエラいのだが、それでも、学生は黙りがちである。

私は昨日より、北陸医大附属病院 (仮) の某診療科で実際の研修を受けている。 大学病院であるから、当然、臨床実習の学生もいる。 こういう状況では、私のような研修医がカンファレンス等で質問する場合には多少の気を使うべきであろう。 というのも、学生が理解できないような質問をしてしまうと、学生は「何やら高度な議論をしているようだから、邪魔をしないように黙っておこう」などと勘違いしてしまう恐れがある。 本当は、質問者は出席者全員のことを考えて発言するべきなのだから、学生にも理解できるような言葉で質問をしなければならない。 つまり、もし学生が質問内容を理解できなかったとしたら、それは質問者の罪なのであるが、どうも現実には、そのあたりを理解していない学生が多いのではないか。

理想的な質問というのは、学生に「何を議論しているのか、よくわかるぞ。この程度の議論になら、私も加われそうだ。よし、一つ、質問をしてみよう。」と思わせるような質問である。 残念ながら私は未だ力量不足で、そういう立派な質問を発することは、なかなかできていない。

その代わりに、というわけでもないのだが、私は学生に対しては「カルテやレポートには、自分が何を考えたのか書くべきだ」という点を強調することにしている。どうせ学生なんだから、間違えても当然であるし、トンチンカンなことをカルテに書いても、指導医が修正してくれる。患者に害が及ぶことはないのである。 これは我々研修医にも言えることなのであって、今のうちに、たくさん失敗をしておくべきであろう。 実際、私は、さっそく一つの失敗を犯してしまった。詳しくは書かない。


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