これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
昨日から、北陸医大 (仮) の初期臨床研修医である。 いずれ我が大学の悪口も書くことになると思うので、大学名は伏せておくことにする。 というのも、大学の就業規則に「故意に大学に対し損害を与えた場合は賠償しなければならない」というような条文があるからである。 名指しでの攻撃は、この条文に抵触する恐れがある。
さて、昨日、新入職員に対する研修の一環として、某有名企業から講師を招いての接遇講座があった。 要するに、患者に対する接し方、基本的な立居振舞についての講習である。 講師は、顧客を満足させるための接し方を丁寧に語ってくれたが、これは、我々医師にとっては、必ずしも適切な内容ではなかったように思われる。
医師にとって、患者に対する理想的な接し方とは、患者を満足させることではない。 たとえば、ある検査を行うことを患者に対して提案する際、もちろん我々は、その検査の目的や必要性などについて説明する。 この時、かみくだいて「わかりやすい」説明を行えば、患者に納得させ、満足感を与えることは、比較的、容易であろう。 しかし、はたして、それは医師として誠実な態度だろうか。
かみくだいて「わかりやすい」説明をするためには、どうしても、少なからず嘘をつかねばならない。 臨床検査というものは、素人が簡単に理解できる性質のものではない。 特に、感度や特異度の概念をよく理解していない素人に対しては、その検査の意義を本当に正しく伝えることは、まず不可能である。 この時点で、既に多少の嘘が避けられないのだが、まぁ、このくらいは、社会通念上、許容されるかもしれぬ。
問題は「乳房に『しこり』がある、という理由で受診した女性に対するマンモグラフィ」のような、医学的に意義がはっきりしない検査の存在である。 こういう状況でのマンモグラフィは、臨床的にはしばしば行われるようだが、これで一体、何がわかるのか、患者にとって、どういう利益があるのか、キチンと認識している医師は極めて稀であろう。 私自身は、これは無駄で不必要どころか単に有害な検査であると思っている。 このあたりの問題については、過去に書いたので、何を言っているのかわからない人は参照されよ。 こういう患者に対してマンモグラフィを行う最大の理由は、医師側の安心のため、であろう。 マンモグラフィを行ったからといって、痛いのも金を払うのも患者であって医師ではない。 むしろ、医師にとっては、あまり診断の役には立たないとはいえ、情報が増えて損はないのである。
もし、こうした事情を正直に患者に伝えた場合、中には「キチンと全部説明してくれる、信頼できる医師だ」と解釈してくれる患者もいるだろうが、「この医者、なんだか頼りないな」と考える患者も稀ではあるまい。 それよりは、「『しこり』の形や性質を調べるため」などと言って「診断のために必要な検査なのだ」と思い込ませてしまう方が、患者満足度は高くなるであろう。
言うまでもないことだが、こうして不正確な情報を与え、医師にとって都合の良い方向に導く手口は、インフォームドコンセントを欠くものであり、ジュネーヴ宣言などの定める医療倫理に反するものである。 患者満足度を高め、病院経営には貢献することができるかもしれないが、医師としては、あるまじき姿である。
昨日の講習において、私は、こうした専門職における葛藤について質問した。 すると講師は、患者に安心感を与えることは重要であり、そのためには、敢えて情報を伏せることも必要ではないか、という意味の回答をした。 たぶん、その講師は、医療倫理についてよく考えたことがなく、ジュネーヴ宣言も知らないから、そういう発言をしたのであろう。
この質疑応答でわかったのは、この講師が所属している某社は、顧客を満足させるためには平然と嘘をつくよう社員を教育しているらしい、ということである。 私は、これまで、この会社をヒイキにしていたのだが、今後は極力、競合他社の方を利用しようと思う。