これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2016/06/21 プロポフォール (2)

プロポフォールには、面白い話が、他にもたくさんある。 たとえば、プロポフォールが循環に与える影響についてである。

プロポフォールは、基本的には GABA 受容体刺激薬であるとされる。 これは、受容体の GABA に対する感受性を高めるだけでなく、受容体を直接刺激する作用をも持っているようなので、 ベンゾジアゼピン系薬剤よりも、むしろバルビツール酸に近いものであると考えてよかろう。 ただし、バルビツール酸とは異なり、NMDA 型グルタミン酸受容体の阻害や、イノシトール三リン酸を介するシグナル伝達を阻害など、 他の機序による鎮静効果も持っているらしい。

Miller によれば、プロポフォールは、動脈血圧、特に心室収縮期の動脈血圧を低下させるらしい。 昨年末に書いたように、この「血圧を低下させる」という表現は、生理学的観点からいって著しく不適切である。 なぜ、Miller ほどの名著が、このような曖昧で不正確な表現を用いているのかは、わからない。 とにかく、この「血圧低下」の正体について、Miller には次のように記されている。

The decrease in arterial blood pressure is associated with a decrease in cardiac output and cardiac index (± 15 %), stroke volume index (± 20 %), and systemic vascular resistance (15 % to 25 %).

心拍出量が「15 % 減る」というのなら理解できるが、「± 15 %」とは、いったい、どういう意味なのか。完全に気の抜けた記述であると、言わざるを得ない。 とにかく、何らかの機序により、プロポフォールは心臓や全身血管に対する、主として交感神経性の調節を低下させるようであり、 臨床所見としては血圧低下が認められる一方、心拍数は大きく変わらないらしい。

さて、問題は、プロポフォールの循環動態に対する作用が発現するまでの時間である。Miller は、次のように述べている。

The effect-site equilibration half-life of propofol is on the order of 2 to 3 minutes for the hypnotic effect and approximately 7 minutes for teh hemodynamic depressant effect. This implies that hemodynamic depression increases the few minutes after a patient has lost consciousness from an induction of anesthesia.

非常に語弊のある文章であるように思われる。 まず第一に、後半の文は `This implies that hemodynamic depression continues increasing until the few minutes after a patient has lost consciousness from an induction of anesthesia.' などとするべきであろう。 第二に、この Miller の記述の根拠は浜松医科大学の T. Kazama らの報告 (Anesthesiology, 90, 1517-1527 (1999).) であるが、 残念ながら、この報告は effect-site equilibration half life の測定としては信用できない。

Effect-site equilibrium というのは、主に麻酔科学で用いられる語である。 これは、薬物濃度が血中と標的臓器中との間で平衡に達することをいう。 一般の薬理学では、この平衡は瞬時に達成されるかのように近似されることが多いのだが、麻酔科学では、その時間差が臨床的に重要なのである。

Kazama らの報告では、プロポフォール投与後の血圧変化を測定し、「血圧と作用標的臓器内の濃度とが一対一に対応する」という仮定の下に、 グラフの傾きから the effect-site equilibration half-life を計算した。 しかし実際には血圧はプロポフォール濃度だけで決定されるわけではなく、代償性の神経性またはホルモン依存的な調節が存在すると考えられるから、 この Kazama らの仮定は、かなり怪しい。 だいたい、理論的観点からいって、プロポフォールは神経系の分布容積が非常に大きいため、現実には平衡が達成されない。 もちろん、Kazama らが調べたような「作用発現までの時間」は臨床的に重要なのではあるが、それを effect-site equilibirum と呼ぶのは不適切なのである。


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