これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
臨床医が診療の片手間に「臨床研究」を行い、学会などで発表することは稀ではない。 あるいは、「珍しい症例」に出会った時に、それを症例報告として発表することもある。 この症例報告については、4 月に書いた。
過日、ある臨床医がどこかの小規模な学会で発表する内容を「予演」するのを聴いた。 予演というのは、臨床医学の分野で使われる用語のように思われるが、要するに学会発表の練習のことである。 練習のことを、なぜ「予演」などと格好つけて言うのかは知らぬが、まぁ、練習すること自体は悪くない。 しかし、この発表者の問題は、発表に先立って「○○を調べて、良い結果が出たので報告します」などと述べたことである。
たぶん、この発表者に悪意はなかった。というより、何も考えていなかったのだと思う。 しかし「良い結果が出たので報告する」ということは、「良い結果が出なければ報告しない」ということである。 実際には、良い結果が出なければ「何とかして良い結果をクリエイトして報告する」というところであろう。 「調べたけれども、良い結果は出ませんでした」というのは、発表としての質が低いとみなされる風潮があるからである。
科学の観点からすれば、これは、邪である。 研究した以上、結果の何如によらず、全て発表するべきである。 「『良い結果』は出ませんでした」という報告は、「良い結果が出ました」という報告と同程度に重要なのである。 なぜ良い結果が出なかったのかをさらに探究することで、科学の新しい一歩につながるからである。 ましてや、無理矢理「良い結果」にみえるようにクリエイトしてしまうことは、科学に対する冒涜である。
このことからわかるように、特に臨床医学研究において「良い結果」が出たものを「良い研究」とみなし、 さらに、それを行った者を「優れた業績を挙げた研究者」とみなすのは、おかしい。 そういう風潮があるから、改竄が絶えないのである。 研究データなどというものは、多少の改竄を行ったところで、どうせバレはしないのだから、現状においては改竄しない方が損である。 本当に一切の改竄を行わない研究者は、おそらく、極めて稀である。 科学者としての出世を捨て、科学者の良心を守って科学に殉ずる覚悟を決めた者ぐらいであろう。
多くの臨床医は、科学的良心について考えたことがなく、エラい人々の言うことに盲目的に従うから、上が「改竄しろ」と言えば、何の躊躇もなく改竄する。 あるいは、自分が改竄を行っているという認識すら持っていないかもしれない。 たとえば、都合の悪いデータを、適当な理由をつけて省く、というのは改竄の常套手段であるが、それを不正行為だと認識していない者は稀ではあるまい。
医学に限らず科学論文というものは、そういう不正の塊でできているのだから、その記載内容を無闇に信じてはならない。 その不正を見抜く眼を持っていない者は論文を読むべきではない。 だから私は、基礎が充分でない学生が論文、特に Review ではなく Original Article の類を読むことは、基本的には好ましくないと考えている。