これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/06/11 『膠原病診療ノート』

膠原病学の教科書は、多くない。日本語の書物でいえば、キチンとしたものは塩沢俊一『膠原病学』改訂 6 版 (丸善; 2015). ぐらいしか、私は知らない。 有名な書物としては三森明夫『膠原病診療ノート』第 3 版 (日本医事新報社; 2013). もあるが、これは、まえがきにも書かれている通り 臨床医療のための「マニュアル + 実例集」であって、医学の教科書とはいえない。 若い学生や医師の中には臨床的に「役立つ」マニュアル本ばかりを珍重し医学書を軽んじる者もいるが、 そういう者は初めのうちは活躍して「デキる」医師のようにみえても、結局は大成しないであろう。

残念ながら、膠原病学の分野では、舶来書にも名著は少ない。 私は Firestein GS et al., Kelley & Firestein's Textbook of Rheumatology, 10th Ed., (2017). を購入した。 しかし、膠原病学が広範で深淵な学問の集成であることを思えば、この書物の記載はなお浅薄であり、遺憾ながら、膠原病学の聖典とまでは呼べない。

ところで、初期臨床研修において、指導医の患者に対する病状等の説明を傍で聞いていると、疑問に思うことがある。 治療の方針などを医師側が一方的に決定し、その結果だけを患者に伝えるような「説明」するような事例も多い。 また、説明するにしても、「これは、こういうものなのだ」と決めつけるような言い回しを多用し、論理がつながっていないことも多い。

新しい治療を開始するとき、患者に対して「○○の治療を開始することになりました」「△△をやろうと思います」と「説明」する者は、遺憾ながら少なくない。 が、これは「宣言」であって、「説明」ではない。 日本、あるいは、少なくとも我が大学のある北陸地方の某県においては、こういう医師の態度に対して公然と反発する患者は少ない。 実際には医師の言うことを理解できておらず、納得しておらず、内心では不安や不満を抱えていても、それを表明できずに、うわべだけ「同意」するのである。 医師の方は「キチンと説明した」と思っていても、実際には何も伝わっていない。 結果として患者の自己決定権を毀損し、真の意味でのインフォームドコンセントを欠いているのである。

このあたりの問題について、いつか日記に書こうと思っている。 過日、たまたま上述の『膠原病診療ノート』の「終章」を開くと、ちょうど三森氏が、私の言いたいことをよくまとめて記載してくれていた。 いささか長くなるが、該当個所を引用する。

適切に判断する, あるいは正しいほうに修正する方法として, 言葉と表現法が重要と思われる. 診断過程について, なぜそう考えるのかほかの医療スタッフに説明し, 治療の選択肢の意味を患者に説明するとき, 矛盾なく言えればたぶん正しい判断に近いだろう (何故なら, そう言えるときは問題を合理的に把握しているときだから). 通じない言葉を使っているときは間違っているか, これから間違う可能性がある. 説明の根拠として, そう書いてある文献があるから, というのは説得力がないであろう (語る者の判断が含まれていないから).

説明責任を果たさない人は誤りを犯す, ということを筆者は (日本社会の構造を分析したオランダ人ジャーナリストの名著から) 学んだが, この原則は広範囲に適用できる. 正当さの判定基準が言葉に依存するというとき, 重要なのは結論の内容よりも結論のしかたである. 今後は……が必要とされる, とある人が言い, 理由を尋ねられて, ……が時代の趨勢だから, と答えたなら, その答は誠実でないとすぐわかるだろう. これは一般的な例で, 不誠実な答え方にも多くの変種が蔓延しているが, 医療に必須なのも論理的誠実さであって, 倫理や思いやりを持ちださないほうがよい. この意味で誠実なら, ある時点で判断を間違っても修正がきくし, 患者もスタッフも納得するだろう.

はたして、あなた方は、患者に対してキチンと説明できているか。


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