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2017/06/28 北陸医大 (仮) にいては教授になれない

標題のようなことを言う人がいる。 このような弱小地方大学にいては、症例数も少なく、大規模な研究もできないから、インパクトのある論文を書くことができない。 結果として、自身の業績リストが貧弱になり、教授の選考過程で振るい落とされてしまう。 これに対し東京大学などの大きな組織にいれば、多数の研究者が参加する大規模研究に名を連らねることができ、 多数の著者の中の一人という立場ではあるが、自分の名前が入った論文が量産されることになる。 そうすると業績リストは豊かになるし、教授選で勝ち抜くことができる。 だから、教授になりたいのであれば、北陸医大に残るのではなく大きな大学に行くべきだ、などと親切にも私に忠告してくれた人もいる。

私には、到底、理解できない発想である。 東京大学や京都大学、名古屋大学などに行けば、確かに、大規模プロジェクトに参加する機会には恵まれるだろう。 しかし、そういう大組織の中で、はたして、一人の研究者が、その才覚を遺憾なく発揮することが、できるだろうか。 教授の駒として便利に使われて年月を過ごすことには、ならないだろうか。 冒頭で述べたような「出世したければ大きな組織に行け」というのは、能力のない人が人脈を頼りに地位を獲得しようとする場合にのみ成立する考え方ではないか。

あるベテランの医師は、北陸医大の教授選は結局のところインパクトファクターだ、と言った。 有名な論文誌に何報の論文が掲載されたか、という数で評価が決まるのであって、研究そのものの質では評価されない、という意味である。 くだらない論文であっても、内容を実際には理解していない形式だけの著者としてであっても、とにかく数を出すことが重要だ、というのである。 ひょっとすると、そうなのかもしれない。 そういう基準で、この大学では、教授を選んでいるのかもしれない。 もし、そうであるならば、この大学には未来はなく、私は、北陸医大の教授になろうとは思わない。 他の、どこか本当に科学的意義のある基準で人を選ぶような大学に行くだけのことである。

日本の医学界に、私のような異端児を必要とする大学が存在しないとは思われない。


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