これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/06/02 介護

医療行政上、大学病院は急性期病院と位置付けられている。 急場を凌いだ患者は、退院するか、あるいは療養病院に転院させるべきだ、ということになっているのである。 そこで問題になるのが、医療上は自宅への退院が可能であるが、自立して生活することが困難な患者、平たくいえば介護を要する患者についてである。

病院内で患者の退院後のサポートについて議論すると、基本的には家族が患者の介護をするべきである、という前提で話が進められる。 高齢の患者について、同一市内に息子夫婦が住んでいる、という情報が出ると、ホッとするのである。 それに対して子供は皆、遠方に住んでいる、という話になると、皆、頭を抱える。 だが冷静に考えてみると、息子夫婦が近くに住んでいるからといって、その息子夫婦に、老いた親の世話をする余力があるとは限らない。 もちろん、「できることなら、親の世話をしてやりたい」と思う人は少なくないであろうが、それを現実的に行うことは 経済的にも、体力的にも、そして社会的にも、容易ではない。 その点を、医療者の皆様がどのように考えているのか、私は知らない。

私の場合であれば、両親に何があろうとも、私は絶対に、介護も同居もしない。 私は独身であるが、仮に結婚して、妻が介護に意欲を示したとしても、私は断固として反対するであろう。 我が両親も、私が犠牲を払ってまで彼らの介護をすることは、望まないはずである。 実際、まだ私が両親と同居していた頃、我々は、その問題について話し合ったことがある。 その時、両親は「子供が親のために犠牲になるようなことは、あってはならぬ。」と私に厳命したのである。

もちろん民法第 877 条には「扶養義務」というものが定められており、子は親を扶養する義務を負っている。 しかし、この「扶養」というものは、扶養する側が社会的地位に相応な生活を営んだ上で、余力があるならば支援しなければならない、という程度の意味と解釈されている。 さらにいえば、これは民法の規定に過ぎないのだから、「親が子に対して扶養を求めた場合、正当な理由がなければ、これを子は拒めない。」という意味に過ぎない。 親が「子供に迷惑をかけたくない。」と言っている場合には、適用されないのである。

患者の退院支援に関する講習などで、患者の子などが介護に積極的であるような架空のシナリオをみる度に、私は、上述のようなことを考える。 その「介護に積極的」な態度は、本心から発したものなのか。 患者が予想よりも長く生きた場合、たとえば余命 3 ヶ月と思われていた患者が一年以上にわたり生存する可能性も、理解した上での決断なのか。 特に患者の子の配偶者が介護に積極的である場合、それは社会的事情から、やむなく本心に反することを言っているのではないかと、私は心配する。 しかし、そういう懸念を述べても、その種の講習会では笑われるだけで終わることが多い。

医師や看護師だって、介護する側の負担、介護したくない気持ちについて、理解できないわけではないだろう。 ただ、自分達の仕事が増えるのが嫌だから、患者を家族に押しつけたいから、その部分から敢えて目を逸らしているのではないか。


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