これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/05/22 右脚ブロック (2)

昨日述べた心電図において、胸部誘導右脚ブロック様の所見があるのに QRS 幅の拡大がないのは、なぜか。 典型的右脚ブロックであれば、右室の興奮が遅れ、最後に興奮する右室側壁は正常よりもかなり遅れることになり、結果として QRS 幅が拡大する。 従って、もし何か側副伝導路のようなものがあり、右室側壁が比較的早く興奮するならば、右脚ブロックにおいても QRS 幅は延長しない。

この患者に、そうした側副伝導路が存在した可能性は否定できない。 しかし、前壁梗塞と右脚ブロックに、たまたま房室ブロックを合併し、しかも側副伝導路もあった、というのは、偶然が重なり過ぎているように思われる。 もう少し自然な解釈は、ないものだろうか。

そこで心臓病の薄い教科書である Lilly LS, Pathophysiology of Heart Disease, 6th Ed., (2016). をペラペラとめくったところ、ふと、気がついた。 「右脚 Right Bundle Branch」という語が厳密にどこからどこまでを指すのかは曖昧だが、この右脚の遠位側には moderator band と呼ばれる構造物の中を通る分枝がある。 このあたりの刺激伝導系の解剖学的構造の研究の歴史は Circulation 113, 2775-2781 (2006). のレビューに、よくまとまっている。

His 束から生じた右脚は、基本的には心尖部に向かうのであるが、この右脚から分かれて moderator band に向かう分枝は、心尖部を経ずに右室側壁に至る。 左脚の場合は「前枝」「後枝」という名称が用いられるが、どうやら右脚の場合には、はっきりした名称が与えられていないようである。 便宜上、心尖部に向う分枝を「右脚前枝」または「右脚遠位部」と呼び、moderator band に向かう枝を「右脚後枝」などと呼ぶことにするが、これは正式な名称ではない。

さて、もし、この右脚前枝でブロックが生じたら、どうであろうか。 右脚後枝を介して右室側壁は正常に興奮する一方、Purkinje 線維の吻合を介して、右室心尖部付近も、正常よりは少し遅れながら、正常な QRS 時間内に興奮するであろう。 その場合、QRS 幅の明らかな延長を伴わずに、胸部誘導の QRS 波形も、II, III, aVF の二峰性 R 波も、説明可能である。 なお、こう解釈した場合「陳旧性前壁梗塞のみであって右脚ブロックを伴わない場合」との鑑別が問題になるが、それは今回は割愛する。

さて、右脚前枝でブロックが生じた場合、本当に、普通の右脚ブロックとは異なる波形になるのだろうか。 その疑問については、心筋梗塞で死亡した患者の心臓を病理解剖で詳細に調べた報告 (Br. Heart J. 65, 317-321 (1991).) が参考になる。 これは、急性前壁中隔心筋梗塞で死亡した患者のうち、心電図上完全右脚ブロックを呈した例と呈さなかった例を各 10 例、計 20 例について調べたものである。 この報告によれば、完全右脚ブロックを呈した例は全て、moderator band よりも充分近位にまで梗塞が及んでいた。 換言すれば、moderator band より遠位のみの病変では、完全右脚ブロックは生じなかったのである。 これは、上述のような理論的予想と合致する所見である。

このような右脚前枝ブロックが、臨床的に、それなりの頻度でみられるものなのかどうかは、知らぬ。今後は、よく注意してみることにしよう。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional