これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
心電図学を得意、あるいは好き、という医学科生や研修医は、少ない。 その原因の一つは、電気物理学をよく理解することなしには、心電図の理論を修得することが不可能な点にあるだろう。 普通の医学科のカリキュラムでは基礎的な物理学すら満足に修めないので、一般的な学生や研修医が心電図を好きになるはずがない。 幸い、私は物理系出身者であり、並の医者よりも、はるかに物理学や電気生理学に通じているので、臨床的興味とあいまって、心電図学に尋常ならざる興味を抱いている。 平たくいえば、心電図オタクなのである。
本日の話題は、心電図異常の一つ、右脚ブロックである。 もちろん、そこらへんの参考書やウェブサイトに書いてあるような内容ではなく、スフィンクスの問いかけのような、神秘的な謎の話である。
きっかけは、一枚の心電図であった。 正常洞調律、心拍数 62 /min, PR 間隔延長 (295 ms) があり、V1 で QRS 群が右脚ブロック様波形、V3 は QrS パターンであった。 心電計の自動診断機能では I 度房室ブロック、不完全右脚ブロック、前壁梗塞疑い、となっていた。 しかし私は直ちに、これは右脚ブロックではない、と判断した。 V1 は右脚ブロック様ではあるものの、よくみると RsR' ではなく RsR's' パターンであり、QRS 幅は 96 ms で拡大しておらず、V6 は qRs パターンである。 さらに II, III, aVF には s 波がなく R が二峰性であった。これらの所見は、右脚ブロックでは説明できないのである。
心電図学を少し勉強した人であれば、私が II, III, aVF に言及していることに首をかしげ、あるいは激しい人であれば私を馬鹿呼ばわりするであろう。 普通、右脚ブロックの診断に際し、これらの誘導は重視しないからである。 しかし典型的な右脚ブロックであれば、II 誘導には s 波が生じなければならない。 なぜならば、右脚ブロックでは右室側壁が遅れて興奮するので、これは II 誘導では、どうしても陰性波として検出されるからである。 また、二峰性 R 波も、普通は病的所見とはとらないが、我々は医師であるから、これが異常所見である以上、何らかの考察を加えなればならない。 II, III, aVF 誘導での二峰性 R 波は、下壁の小さな (超音波検査ではわからないような) 陳旧性心筋梗塞と考えるのが自然であるが、 この場合、遅れて興奮した部分が二峰性 R 波の後半部分を形成したと考える方が自然である。
もちろん、こんな心電図は教科書に載っていない。しかし「非特異的心室伝導障害」という診断に逃げるのは、あまり美しくない。 私は電子カルテ端末の前で頭を捻り、隣にいた研修医に話したりしながら、解釈を試みた。 なお、この研修医氏はたいへん優しい人物で、「こいつは、一体、何を言っているのだ?」と思いながらも、私のオタクトークにつきあってくれた。
結論として、私は、この心電図を「右脚遠位ブロック」あるいは「右脚前枝ブロック」と呼ぶべき異常、と診断した。 もちろん、そのような診断名は、教科書には記載されていない。 私は、一体、何を言っているのか。 続きは次回にしよう。