これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/06/27 それでは検査が進まない

たとえば造影 CT を施行する時、我が北陸医大 (仮) では、原則として、同意書にサインすることを患者に求めている。 そのサインにあたり、我々は、造影剤を使うことによって生じるリスクについて、一応、患者に伝えている。 その「リスク」には、40 万人に 1 人程度ではあるが、死亡することもある、などという物騒な内容も含まれている。 患者は、そうした危険を充分に理解した上で、造影剤を用いた検査に同意している、ことになっている。

「ことになっている」というのは、本当に、それらを理解して同意しているようには、私には思われないからである。 我々が同意書の用紙を持って患者の所を訪れる場合、もう「造影検査を施行する」ということは事実上、既に決定された上で、 念のため同意書にサインしていただく、という態度であることが多い。 我々研修医の立場からすれば、指導医に「同意書にサインをもらってきてくれ」と言われ、形式的に同意書の内容を説明し、患者にサインを求めるのである。

もし、造影剤を使うことで死亡のリスクもある、というような内容に患者が恐怖していたとしても、それで「嫌だ」とは言いにくいような雰囲気を、我々は作っている。 「どうしても、やらなければなりませんか」と問われた際には「そうですね、造影検査をやらないと、診断が難しくなって、適切な治療をすることができない恐れがあります」 などと患者を脅し、なんとかサインさせているのである。

言うまでもなく、我々は、これを善意でやっている。 死亡のリスクが僅かにあるとはいえ、適切な診断・治療につながるという利点を考えれば、総合的には患者にとって最善の選択だろう、と考えている。 しかし、何が「最善」であるかは、最終的には個人の主観、個人の価値観、人生観に基づいて決定されるべきものである。 患者にとって何が最善であるか、ということを、赤の他人である医師に決められる筋合いはない。 もちろん、素人である患者には、専門家である医師に決定を委ねる、という選択肢も与えられるべきであるが、 医師の側が初めから「我々に委ねなさい」という立場で接することは不適切である。

このように我々は、患者に選択の余地を与えず、事実上、強制的に同意書にサインさせている。 そこには、真のインフォームドコンセントは存在しない。

この問題について、同期研修医の某君と話した時、彼は、次のように述べた。 「本当に患者に理解してもらおうとして、それで患者が嫌がって同意しなかった場合、検査が進まないではないか。」 まぁ、彼は若くて経験も浅い研修医であるから、そういう発想になるのも仕方ない面はある。 しかし冷静に考えれば「検査が進まない」という物言い自体が不適切である。

「検査を進める」とは、どういう意味なのか。 診断を行うにあたり、何か予め決められた手順、決まったプロセスが存在し、それを踏襲するのが当たり前だと思っているが故の発言であるように思われる。 それは、違う。 検査や治療というものは、個々の患者の病態や価値観に基づいて、本来ならば一例一例、臨機応変に考案し、行うべきものである。 造影検査が嫌だというのなら、なぜ嫌なのかを聴き、適切な情報を提供し、それでもなお嫌であるならば、その患者の意思を最大限に尊重し、 造影せずに何とか診断する方法を考案し、妥協できる点を探るのが医師の仕事ではないのか。 予め決められたプロトコールを実行するだけなら、看護師と技師だけで充分なのである。

残念ながら上述の研修医の某君は、そういう診断を考えられる域には未だ到達していないようである。


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