これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
近年、Work-Life Balance という言葉が流行している。 それは医者の業界でも例外ではなく、無理な勤務体系を是正しようという動きが、世界的にみられる。 特に、長時間勤務は医師個人の負担となるだけでなく、医療過誤などを介して患者にも害を与える、という事実が近年では認められつつあり、 内科学の名著 Kasper DL et al. Ed., Harrison's Principles of Internal Medicine, 19th Ed. (2015). にも記載されている。 また、週刊 The New England Journal of Medicine でも、2017 年 3 月 23 日号の Perspective 欄に、この問題に関する記事が 2 本、掲載された。 私も、不適切な労働環境は早急に是正するべきであると考える。 北陸医大 (仮) の初期臨床研修においても、某診療科で研修を受けている同期研修医の話を聞く限り、不当に厳しい労働内容が課されているようであり、たいへん、よろしくない。
ただし、少なからぬ医学科生や研修医が称える「ワーク・ライフ・バランス」という言葉には、同意できない。 彼らの主張というのは、医者も人間なのであって、仕事は仕事に過ぎず、それ以外の人生を謳歌する権利が当然に認められるべきである、というものである。 しかし、それは違う。 我々は、一個の人間である以前に一人の医者であり、一人の科学者なのである。 長崎大学の開祖が言うように、もはや我々の人生は、我々自身のものではない。 個人の享楽よりも、医師としての職責が優先されるのは当然であって かつて私の虫垂炎をみるために家族スキーを放棄したあの医者の選択は、当然というべきである。 そういう覚悟がない者は、医者になるべきではない。 それ故に、医師という人種は、社会から一定の敬意を払われ、恩恵を与えられているのである。
たぶん、この私の主張に対して医療関係者の大半は同意しないであろう。 が、これはサッカーに例えると、わかりやすい。 プロのサッカー選手が「サッカーは仕事に過ぎない。日々の生活も同様に大事だ。」と言って、普段からフライドポテトを食べ、コーラを飲んでいたら、どうだろうか。 もし、それが世界トップクラスの選手であるなら誰も何も言うまいが、たとえば J リーグ 3 部の選手がそういう生活をしていたら 「そんなだから、お前は J3 なのだ」と言われるだろう。 サッカー選手なら「俺は J3 で充分だ」と開き直ることも許されるが、医者が「俺は、その程度の医者で構わない」などというのは、患者のことを顧みない、許されざる暴言である。
学生時代に医学を修めず、従って専門的な医学書を読む能力を備えておらず、研修医になっても和文症例報告や「わかりやすい○○」というようなアンチョコ本ばかり読んでいて、 それで医者といえるのか。 それで患者の前に座って、恥ずかしくないのか。
もちろん、学問は、義務感から渋々修めるようなものではない。 一流のサッカー選手が例外なく「3 度の飯よりサッカーが好き」と述べるのと同じように、優れた医者は、3 度の飯より医学を選ぶであろう。 医学をやりたい、という自発的感情が湧き起こらないのであれば、そもそも、なぜ、あなたは医者になどなったのか。 医学・医療というのは、他の学問・技術と同様であって、決められた手順を実行すれば済むような単純なものではない。 そのあたりを認識しないまま医師になってしまった者が、稀ではないように思われる。
我々は、仕事だから医学・医療をやっているわけではない。 それが好きだから、我々は医師だから、人生とは医学・医療そのものであるから、だから、それをやっているのである。