これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
過去にも何度も書いてきたが、医学・医療の世界には、理論を軽視する風潮がある。 これは昨今に始まったことではなく、戦時下において既に京都帝国大学内科学教授の前川孫二郎が指摘しており、 おそらくは、この国で古くから続く因習なのであろう。 しかも近年では、Evidence-Based Medicine (EBM) の旗印の下に統計を偏重する流派が勃興し、理論抜きの統計が横行している。 その結果、統計調査の結果に不合理・主観的で偏った解釈が加えられ、恣意的に臨床現場に持ち込まれている。 この 4-5 月に書いたプロポフォール、感染性心内膜炎、Kaplan-Meier 法などは、その具体例である。
そもそも医学科生や医師の多くは、理論というものを学んだことがないであろう。 ほんとうは、物理学や化学などは、キチンとした理論に立脚する学問なのであるが、大学入試科目の物理や化学は暗記とパターン認識で通過することができるようである。 また、医学科一年生で修める教養科目としての物理学や数学などは、少なくとも名古屋大学や北陸医大 (仮) の人の話を聞く限りでは、まともに学問として教えられていない。 そして医学専門科目の課程においても、知識を授けるだけの授業、やり方を身につけるだけの実習、丸暗記の知識だけで合格できる試験が行われる。 近年では「臨床推論」という言葉が作られ、論理的思考による診断を重視する勢力も登場してきたが、 これは、いわゆる総合診療の立場から進める鑑別診断と同一視されることが多いように思われる。 病理学的理解にまでさかのぼっての、本当に論理的思考には至らないことが大半であろう。 研修医になってからも基本的には同じことであって、医学理論を考えることが求められる場面は、極めて稀である。 これでは、素養に恵まれた一部の学生・医師を除いては、物事を考える姿勢、理論を追求する態度は、身につかない。
さて、私は初期臨床研修修了後も、当面は北陸医大に残る所存である。 とはいえ、一生を一箇所に留まって終えるつもりはないから、遅くとも 9 年後には去ることになるであろう。 それまでに、私が持っているものを全て、できることなら、この大学に置いていきたい。 わからない人にはわからないであろうが、私が京都大学・名古屋大学で培ってきたものは、医師にとっても、かなり役に立つはずなのである。
学生と共に行っている基礎病理学や生理学の勉強会は、軌道に乗った、とまでは言えぬものの、一応は継続開催できている。 あと、もう一押し、何かをやらねばならない。