これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/05/07 Kaplan-Meier 法

昨日の記事で、免疫チェックポイント阻害薬の有効性が過大評価されている疑いについて述べた。 しかし普通の医師をはじめとする統計学の素人は、Kaplan-Meier 法の弱点をよく理解しておらず、私の述べた内容を理解できないであろうから、ここで補足説明を行う。 Kaplan-Meier 法の具体的な手順については、統計の教科書やアンチョコ本で述べられているだけでなく、インターネット上にもたくさんの解説サイトがあり、 その内容は概ね正しいと思われるので、ここでは概念だけを説明する。

ある治療を受けた患者の転帰を追跡調査する場合、何らかの事情で追跡できなくなってしまうことは稀ではない。 たとえばイピリムマブによる治療を受けた患者について 10 年間の追跡調査を行おうとしても、5 年後からは病院を受診せず、 電話をかけてもつながらなくなってしまうことは珍しくない。 厳密な統計解析を行おうとするならば、この患者は 5 年後の時点で死亡した可能性も、10 年後まで生存している可能性もある、と考え、 この振れ幅を統計誤差として取り扱うのが正確である。 しかし、その場合、統計誤差の数学的取扱いが複雑になるだけでなく、誤差範囲が非常に広くなってしまうため、あまり意味のある解析結果が得られないことが多い。 そこで「もっともらしい」仮定に基づいて、なるべく誤差範囲を小さくしようとする工夫の結果、編み出されたのが Kaplan-Meier 法である。

Kaplan-Meier 法では「患者は、ランダムに追跡不能になる」と仮定する。 つまり、病状の悪い患者が追跡不能になりやすい、とか、元気な患者の方が追跡不能になりやすい、といった偏りは存在しない、と考える。 たとえば 5 年後の時点で生存していた患者数が 10 名であり、そのうち 6 名は 6 年後まで生存し、2 名は 6 年後までに死亡し、2 名は追跡不能になったとする。 このとき、追跡できた 8 名のうち 6 名が一年間を生き抜いたのだから、この一年間の生存率は 75 % ということになる。 ここで、追跡不能になった 2 名の生存率についても、追跡できた 6 名と同じ 75 % であろう、と推定するのが Kaplan-Meier 法なのである。

常識的に考えて、この推定は、無理がある。 定期的に受診するよう勧められていた患者が、ある時から受診しなくなったとすれば、それは何らかの事情があるはずである。 治療が効いていないように思われるので医者を信用しなくなった、とか、副作用がつらいが言いにくいので黙って別の病院に移った、とか、 あるいは、すっかり治ったように思うので自己判断で通院をやめた、とかである。 あるいは、患者は死亡したのだが、その事実を医療機関側が把握していない、ということも考えられる。 いずれにせよ、追跡不能になったという事実と転帰との間には、何らかの関係があると考えるのが自然である。 これを無視する Kaplan-Meier 法は、みかけ上の誤差を小さくできる便利な解析方法であるものの、その信憑性は高くない。

ある製薬会社と親密な関係にある研究者が、ある邪な意図をもって統計調査を行う場合について考える。 たとえば新薬を投与された患者の病状が悪化した際には、他の病院に紹介するなどして、敢えて追跡をやめてしまうのは有効である。 そうすると、追跡された患者は死なないので、Kaplan-Meier 法によって推定された生存率は高くなる。 その患者に投与された新薬が優秀であるかのようにみせかけることができるのである。 純真な医学科生は、そこまで邪悪な医者は漫画の中にしか存在しないだろう、などと思うかもしれぬ。 しかし、生き馬の眼をもくり抜く昨今の医学界において、そうした医者の良心を信じるのは危険である。 また、故意でなかったとしても「この治療法は有効であってほしい」という願いが医者の心の奥底にあれば、 状態の悪くなった患者については追跡が甘くなり、たとえば電話をかけることを無意識に躊躇し、結果として追跡不能になることを促してしまう。 これが観測者バイアスである。

だから二重盲検法によってこうした偏りを無効化することが重要なのであって、非盲検の臨床試験など、信ずるに足らぬ。


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