これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/05/06 いわゆる免疫チェックポイント阻害薬について

5 月 7 日の記事も併せて読まれよ

近年、医療業界の一部で話題になっているのが、いわゆる免疫チェックポイント阻害薬である。 これは、PD-1 や CTLA-4 といった、免疫細胞の不活性化に関係する分子を標的とする抗体薬である。 腫瘍細胞の中には、こうした分子を刺激することで免疫応答を抑制するものがあるらしく、 この「免疫応答の抑制」を抑制することで、腫瘍細胞に対する免疫応答を活性化する、という治療戦略である。

これは腫瘍細胞を選択的に殺傷するものではなく、また、腫瘍が宿主の中で生存・増殖する機構の一部を抑制するに過ぎない。 従って、常識的に考えれば、癌患者の予後を僅かに改善する可能性はあるにしても、根治的ではあり得ず、革命的に画期的な薬剤であるとは思われない。 しかし一部には、これを極めて画期的な薬剤であると賞賛する向きがある。

少し古い話ではあるが、月刊「病理と臨床」 2017 年 3 月号に「免疫チェックポイント分子を標的とする分子治療薬とコンパニオン診断」という記事が掲載されていた。 コンパニオン診断というのは、ある治療が効きそうかどうかを判定するための検査のことであって、この場合でいえば、 抗 PD-1 抗体であるニボルマブが効きそうかどうかを調べるのである。 この記事は、これらの薬剤による治療が将来有望である、とする立場から書かれており、次のように述べている。

悪性黒色腫に対するイピリムマブの臨床試験の長期成績の検討では, 3 年目以降生存率は低下せず生存曲線はプラトーとなる. また, 非小細胞肺がんや腎細胞がんに対するニボルマブの臨床試験の検討においても, 治療に反応した症例では腫瘍縮小が 3 年以上の長期にわたって持続することが示されている. このことは免疫チェックポイント阻害薬により, 従来難治性であったがんも治癒を目指すことができる可能性があることを示唆している.

「治癒を目指すことができる可能性があることを示唆」というのは、いかにも曖昧な表現である。 この部分については参考文献が示されていないのだが、たぶん J. Clin. Oncol. 33, 1889-1894 (2015). などが根拠なのであろう。 この報告は、抗 CTLA-4 抗体であるイピリムマブを投与された患者について、最大 10 年間の追跡調査を行ったものである。 確かに、この報告では Kaplan-Meier 法による累積全生存率のグラフが示されており、治療開始 3 年で生存率 20 % 程度に達した後は 生存率は大きく下がっておらず「プラトーとなる」ようにみえる。

ただし、この結果を解釈するにあたっては、Kaplan-Meier 法の弱点についてよく理解しておかねばならない。 というのも、もし特定の結果を誘導する意思をもって統計をとった場合、Kaplan-Meier 法を用いれば、生存率を実際よりも高くみせかけることは容易だからである。 ここでは Kaplan-Meier 法の詳細については言及しないが、端的にいえば、「患者が死にそうになったら追跡対象から外す」という方法で、 みかけ上の生存率を上げることができてしまう。

もちろん、この詐術は、二重盲検の場合には意味を成さない。 しかし盲検化が不充分である場合や、この報告のような非盲検の試験においては威力を発揮する。 実際、この報告では、3 年以上観察された患者の死亡数は少ないものの、途中で追跡できなくなった患者は多い。 もちろん、これらは必ずしも意図的に追跡対象から外されたわけではないだろうが、いわゆる観察者バイアスは避けられない。 また、何らかの重大な交絡因子によってみかけ上の生存率が高くなった可能性も否定できず、統計的根拠としては薄弱であると言わざるを得ない。 従って、この Kaplan-Meier 曲線から短絡的に「腫瘍縮小が長期にわたって持続する」と結論することはできない。

こうした抗体薬の開発には莫大な資金が投入されており、また、尋常ならざる価格が設定されていることから、その効果についての学術論文には重大な「経済的意義」がある。 論文を解釈するにあたっては、そのことを忘れてはなるまい。


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