これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
名古屋大学医学部から「名古屋大学特定基金 医学系未来人材育成支援事業 ご支援のお願い」とする、少しばかり上等なデザインの書状が届いた。 平たくいえば、寄付の依頼である。 「医学系未来人材育成支援事業」というのは、いかにも威厳の乏しい残念な命名ではあるが、要するに医学教育の拡充のための基金であるらしい。
近年、国立大学は国からの交付金を削減され、いわゆる競争的資金が増やされている。 「本当に意義のある役立つ教育・研究に重点的に予算を配分するため」というような名目ではあるが、 現実には、いわゆる iPS 細胞の応用などのような、本当に科学的価値が高いかどうかはともかく世間に受ける研究だとか、 金になる特許に結びつきそうな研究などに予算が配分される傾向にあるように思われる。 その一方で、その社会的意義を明確に説明することができない基礎科学研究や、ただちには社会に還元されないような研究は、予算を削減される傾向にある。 言うまでもなく、こうした基礎軽視の風潮が蔓延すれば、この国の科学は衰退し、工業力は低下し、国家の存続すら危うくなるであろう。
それに対する自衛活動の一環として、名古屋大学は従来名古屋大学基金という財源を構築してきた。 この基金のうち、特に医学部のために活用する枠として「医学系未来人材育成支援事業」なるものを設けたらしい。 私は同大学に対する愛校心が篤いから、毎月 5,000 円の寄付をすることにした。 5,000 円というのは、私にとって継続可能と考えられる上限額である。
もちろん名古屋大学に寄付して京都大学に寄付しないわけにはいかないから、京都大学にも月 5,000 円を寄付することにした。 合計で月 10,000 円というのは、手取り 26 万円の研修医にとっては、軽い負担ではない。 しかし、こういう寄付というものは、金額そのものよりも、気持ちの問題である。 月 3,000 円程度の「負担にならない寄付」では、「君の母校を愛する気持ちは、その程度か」との謗りを免れ得ぬ。
京都大学への寄付については 「京都大学修学支援基金」にしようかとも思ったが、結局、「湯川・朝永生誕百周年募金」にした。 京都大学修学支援基金というのは、要するに授業料免除などのための財源として使われる基金である。 これは、奨学金と称する経済的支援の大半がローンである日本の実態を思えば、重要な事業ではある。 しかし、誇り高い京都大学の学生であれば、たとえ親からの充分な経済的支援を得られない状況であっても、 日本学生支援機構と称する貸金業者から有利子で借り入れるなどの方法で、修学することは可能なはずである。 たとえ卒業時に 1,000 万円程度の借金を背負うことになったとしても、何を恐れる必要があろう。 なお、私がこう書くと一部の学生等から反感を買うであろうことについては過去に書いており、 思う所は現在も変わっていないので、ここでは繰り返さない。