これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
だいぶ間隔があいてしまった。 少し疲れているな、という自覚はある。
さて、「良心的兵役拒否」という概念がある。 兵役の義務が課されている国において、非戦闘員としての労務に就くことなどを条件として、信仰などを理由とした兵役拒否を認める制度である。 これに類似した「良心的診療拒否」の制度について批判する記事が、4 月 6 日号の週刊 The New England Journal of Medicine の Sounding Board に掲載されていた。
「良心的診療拒否」が問題になるのは、人工妊娠中絶などについてである。 カトリック教徒などは、信仰上の理由から、人工妊娠中絶を嫌っている。 ではカトリック教徒の医師は、自身の信仰を理由として、患者に人工妊娠中絶を行うことを拒否できるのか。
現在のところ米国では、そうした「良心的診療拒否」を認める方向にあるらしい。 つまり、信教を理由として特定の診療行為を拒否する医師などに対し、医療機関は、それを理由として不利益な措置を講じることができない、というのである。 これに対し、上述の記事の著者である University of Pennsylvania の R. Y. Stahl らは批判しているのだが、いまひとつ論点がはっきりしない。 Stahl らは、米国医師会 (American Medical Association; AMA) の指針などを根拠に論を展開しているが、 AMA は、「患者の」人種や信教などを理由とした診療拒否などを禁じているものの、特定の処置 (人工妊娠中絶など) を一律に拒否することまでは禁じていない。 そもそも、AMA は単なる業界団体、あるいは政治団体に過ぎないのであって、その見解に、個々の医師が従う義務はない。 結局のところ Stahl らは、そうしたカトリック教徒などを個人的に嫌っており、そんなのは認めたくない、という感情を何とか正当化しようと、 AMA の指針を強引に解釈して振りかざしているだけであるように思われる。
さて、日本の場合、このあたりについて明確な規定は存在しない。医師法第 19 条に
診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合は、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。
と規定されているのみである。 では、たとえば病院勤務の産科医が「人工妊娠中絶は、やりたくない」と主張した場合は、どうなるか。 良心的診療拒否を明確に認める規定が存在しない以上、仮に懲戒処分を受けたとしても、法的な対抗手段は存在しないように思われる。
ただし、良心的診療拒否全般ではなく、人工妊娠中絶に限って議論するならば、事情は少し異なる。 3 年ほど前にも書いた通り、日本では人工妊娠中絶が厳しく制限されており、 強姦による妊娠などを除いては、基本的に認められていない。 単なる「望まない妊娠」を理由とした人工妊娠中絶は違法であり、これを医師が実施することは同意堕胎罪にあたる。 もちろん、胎児の染色体異常などを理由とした人工妊娠中絶は違法である。 これに対し、少なからぬ医師が「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」という要件を拡大解釈して 不法な人工妊娠中絶を行っているのが現状である。 医者という連中は、自分達が法律よりも偉いと思っており、遵法意識というものをカケラも備えていないのである。
もちろん、人工妊娠中絶に対する考え方は多様であって当然である。 しかし、法律で明確に禁止されている以上、それは、守らねばならない。 法律に違反することが正当化されるのは、その法律が憲法に違反していると信じるに足る根拠がある場合か、 あるいは、現在の政府や社会そのものを否定し、革命を志している場合のみである。 たぶん医師の多くは、どちらかといえば保守派であって、法律自体を否定してかかる革命勢力ではないであろうから、彼らは、法律に従わねばならない。
さて、話を元に戻す。 つまるところ、違法であるから、という理由で単なる「望まない妊娠」に対する中絶を拒否するのは、医師の当然の権利であって、 医療機関側は、そうした医師に対し不利益な措置を講じることはできない。