これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/04/16 プロポフォールを巡る悪意のある統計 (2)

英国の某製薬会社は、プロポフォール製剤のインタビューフォームに「肝障害患者においてもクリアランスは著変しない」かのように記載している。 しかし、これは、プロポフォールが主に肝臓で代謝されるという薬理学的事実からは了解不能である。 なぜ、そのようなことになっているのか。 鋭い読者であれば、この事情について容易に想像がつくであろう。 実際、私も、「たぶん、こういうことだろう」と予想を立てた上で、インタビューフォームの記載の根拠となった 2 つの文献を閲覧した。

フランスの F. Servin らの 1988 年の報告 (Anesthesiol. 69, 887-891 (1988).) は、軽度の肝硬変患者と肝障害のない患者との間で、 3 コンパートメントモデルに基づいてプロポフォールの薬物動態を比較したものである。 この肝硬変患者というのは、生検で肝硬変と診断されてはいるが、腹水や脳症は来しておらず、血漿アルブミン濃度やプロトロビン時間、血清ビリルビン濃度にも著明な異常がない、 Child-Pugh 分類でいえば Class A にあたる。簡潔にいえば、肝機能障害は軽度の患者である。

Servin らの報告では、肝硬変群はコントロール群に比して 13 % 程度のクリアランス低下がみられた。 ただし患者数は両群とも 10 名のみであるから、統計誤差が大きく、「統計的有意差なし」と判定された。 過去にも何度か書いている通り、これは「両群でクリアランスは大きく変わらない」という意味ではないことに注意を要する。 そこで、いささか粗い近似ではあるが、私が片側 T 検定で評価してみたところ、肝硬変群のクリアランスはコントロール群に比して、 平均 22 % 程度低下する可能性がある (信頼度 95 %) という結果になった。 これを単に「有意差はなかった」と表現するのは、不適切である。 この F. Servin らは、1990 年にも同様の報告を別の論文誌に載せているが、結果は同様であった (Br. J. Anesth. 65, 177-183 (1990).)。

このように、統計の不適切な解釈が公然とインタビューフォームに掲載されているのは、なぜか。 Servin や製薬会社の研究員は、かくも統計について無知であったのか。 そうではないであろう。

Servin が、なぜ、わずか 10 症例のみの検討結果に基づいて、非劣性試験すら行わずに `this study shows that the pharmacokinetics ... were not markedly affected by uncomplicated cirrhosis of the liver.' などという安直な結論を述べたのかは、知らぬ。 しかし Servin の 1988 年の報告には、プロポフォール製剤を扱っている製薬会社からの支援に基づいて行われた研究であることが明記されている。 おぞましい想像ではあるが、Servin は「ある特定の結果」を誘導する目的で、恣意的に研究計画を立てて「患者数は各群 10 名」としたのではないかと疑わざるを得ない。

腎障害についても、同様である。インタビューフォームには「腎障害患者における薬物動態」として

腎障害患者群及び正常な腎機能を有す患者群にプロポフォールを単回静脈内ボーラス投与したとき、 薬物動態パラメータ (半減期、クリアランス) に統計的有意差は認められなかった。

と記載されている。 その根拠論文は、ベルギーの B. Ickx らの報告 (Br. J. Anesth. 81, 854-860 (1998).) である。 これも末期腎不全患者において中央値で 12 % 程度のクリアランス低下がみられているが、患者数が腎不全群とコントロール群で各 10 名と少ないため、 統計誤差が大きく「有意差なし」となったに過ぎない。 これを `the pharmacokinetics of propofol infusion were similar in ESRD (註: End-Stage Renal Disease) and control subjects.' とまとめるのは不適切である。 この報告も、共同研究者にプロポフォール製剤の製薬会社の者が加わっており、「そういう研究」であると疑わざるを得ない。


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