これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
4 月になり、北陸医大 (仮) にも、多くの一年次研修医がやってきた。 臨床研修マッチングで我が大学にマッチした人数に比べ、実際に来た人数がいささか少ないようにも思うが、気にしないことにしよう。 今月と来月は、麻酔科学における諸問題を順に議論していこうと思っていたのだが、あまり堅苦しい話ばかりでも読者は飽きるだろうから、今日は軽い話題に留めておく。
現在の初期研修制度では、将来的に専門としない診療科での研修をたくさん受けることになる。 これは、専門分野以外のことを知り、経験しておくことは将来的に有益であろう、という考えに基づくものである。 しかし、指導医の側は、必ずしも、そうした非専門家に対する教育に長じているわけではない。 名古屋大学時代にも、学生や研修医に対する教育が「その分野の専門家を育成するための訓練」に偏っていることを某教授が指摘していた。 遺憾ながら我が北陸医大でも、同様の問題が存在するように思われる。
我々病理医の卵は、本来、臨床的な手技を修得することは必要ではない。将来的に、使わないからである。 もちろん、正しい病理診断を遂行するためには、臨床現場で何が行われているのかを知ることは重要であり、従って、研修医として臨床現場に参加することは有益である。 そして、可能であれば手技を経験することも、たとえ巧くできなかったとしても、きっと何かの役に立つであろう。 しかし、手技の修得それ自体が有益であるとは、思われない。
これは、逆の立場で考えるとわかりやすいかもしれぬ。 一般臨床医にとって、病理診断の現場を経験し、標本作成に参画し、実際に顕微鏡を覗くことは、いずれ検体を提出する側に立つことを思えば、 精神科以外の臨床医を志望する者には有益であろう。 しかし、検体切り出しの際のナイフの使い方だとか、リンパ腫の鑑別だとかいった細かなことを習得することは、一般臨床医志望者には不要であろう。
私は昨年度、病理部で研修を受けた際、臨床実習の学生と一緒に切り出しなどを行う機会も少なくなかった。 その際、私は病理診断学の話をせず、むしろ一般臨床に近い話をするように努めた。ただし、基礎病理学に基づく観点からである。
研修医に「やり方」を教える風潮は、全国のほとんどの病院に存在するのではないか。 研修医の側も、やり方を覚えて臨床診療の一翼を担うことが研修の本義である、とする考えが広まっているように思われる。 しかし、それは、本当に意義のあることなのだろうか。