これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/06/22 「明らかに」

工学部時代、絶対に使うな、と教えられた言葉の一つに「明らかに」というものがある。

何かを論証しようとする際に「明らかに」という語が、何らかの意味を発揮することはない。 そこで述べられている論理が正しいならば、「明らかに」などと言われなくても、それが正しいことは理解できるからである。 むしろ「明らかに」という語を使いたくなるのは、論者が「論理的には説明できないが、たぶん正しいでしょう、認めてくれるでしょう」と考えている場合である。 つまり「明らかに」という言葉を使うのは「私は、よく理解しておりません」と述べているに等しい。

学生や研修医の中には、論理よりも権威を重んじる者がいる。 彼らは、指導医の言うことは絶対に正しいと信じているから、私が「それは、論理がおかしいんじゃないのか?」と指摘しても、耳を貸さぬ。 「熟練の指導医」と「研修医」では、どう考えても「熟練の指導医」の方が信憑性が高いのだから、それを批判する研修医の言葉など考慮する価値がない、というわけである。 キチンと説明はできないが、指導医が言っているのだから正しい、少なくとも、お前が言うことよりは信頼できる、というのが、彼らの「論理」なのである。

もちろん、中堅以上の指導医であれば、そういう考えの持ち主は、稀である。 診断基準だとか、ガイドラインだとかいうものに束縛されず、病態を考察し、論理に基づいて診断・治療を行うのが当然である。 しかし、遺憾ながら多くの学生や研修医は、そういう水準に達していないから、指導医の側も妥協して「わかりやすい」説明を行う。 すると学生や研修医の中には、何かを勘違いする者が現れてしまうのである。

北陸医大 (仮) で臨床実習の学生をみていると、やたらと診断基準やガイドラインを持ち出したり、薬の名前を一般名ではなく商品名で言う者が稀ではない。 一体、この大学では、どういう教育が行われているのか。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional