これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
昨日の話の続きである。 教授が T シャツ短パンで院内を歩いていた、などというと、ひょっとすると、軽薄で風格の乏しい人物を想像されるかもしれぬ。 しかし、我が北陸医大 (仮) の第二病理学教室の教授は、確かに飄々としてはいるが、決して浅薄な人物ではないので、誤解してはいけない。
過日、北陸医大附属病院病理部の職員の退職にあたり、送別会が開催され、私も参加した。 詳細な経緯は省略するが、私の右隣には第一病理学の教授、左隣には第二病理学の教授が座る、という席順になった。 この時、私は、件の第二病理学の教授と語り合ったのである。
教授は、私に対して「いずれ、ノーベル賞でも取るつもりかね?」と問うた。 私は、すかさず「賞によって学問の業績を評価するというのは、あまり適切ではないように思われます。」と返した。 これは言外に「ノーベル賞など、くだらない」と述べているのである。 並の科学者であれば、ノーベル賞などに拘泥した自身の軽率な発言を恥じ、萎縮するであろう。
しかし教授は怯まなかった。 「では、何によって評価するのだね?」と問うた。 私は「そもそも業績を評価する、という発想自体が、学問にそぐわないのではないでしょうか。」と答えた。 これに対し、教授は、次の一言によって私を粉砕したのである。
「『学問の業績は、歴史が評価する』ぐらいのことを、言ってはどうなのか。」
教授から一本取って油断した矢先に、これである。まぁ、引き分けであろう。 どうも病理学教授という人種は、名古屋大学の某教授もそうであるが、見識の高い人が多いらしい。