これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
毎週末に、学生と一緒に勉強会をやっている。 「基礎の部」としては基礎病理学の教科書である Kumar R et al., Robbins and Cotran Pathologic Basis of Disease, 9th Ed. (Elsevier; 2015). を 毎週 20 ページ程度の速さで輪読している。 また「応用の部」としては、週刊「The New England Journal of Medicine」の Case Records of the Massachusetts General Hospital を隔週程度で読み、議論している。
教科書を読む、というのは、ただ字面を追うことを言うのではない。 一言一句、意味を吟味し、批判的考察を加えつつ、著者との対話を進めることをいう。 独りで読んでいると、この吟味が甘くなりがちなので、複数人で歩調を揃えて読み進める勉強会形式は有益である。 しかし正直にいえば、これらは、かなり難易度が高い。 Robbins をキチンと読もうとすれば、私の場合、せいぜい時速 4 ページ程度であり、20 ページを読むには少なくとも 5 時間はかかる。実際には 7, 8 時間かかることも多い。 それだけの時間を毎週、勉強会の準備のためだけに割くのは、容易ではない。 平均的な水準の学生や研修医にとっては、甚だ困難であろう。 だから勉強会にあたっては、無理して全ページを読む必要はない、予習して来なくても構わない、ということにしているが、参加者は少ない。
勉強会に人を集めようとするならば、もっと親しみやすい、わかりやすい内容をやるのが良いであろう。 学生を対象にするなら、疾患と組織学的特徴を対応付けて、「わかりやすく」説明するのが良かろう。 しかし、それでは医学ではなくなり、「学ぶ」ということの本質から大きく乖離してしまう。
現在の医学科の教育には、物事を深く探究する、という姿勢が欠如している。 「これは、こうなのだ」と教えられて、その知識を得て満足する、という「勉強」の仕方が主流である。 試験においても、そういう表面的な知識を問うだけの内容が多い。医師国家試験など、ひどいものである。 しかし、それでは、いけない。それでは、医学は進歩しない。 臨床医療においても、ガイドライン盲従のマニュアル診療しか、できなくなる。
なぜ諸君は、前に進もうとしないのか。 医学科に入り、医師免許の取得が事実上保証され、生涯の経済的安泰が保証されたところで、なぜ、立ち止まるのか。 眼前に広がる未開の荒野を、なぜ、開拓しようとしないのか。
名古屋大学にせよ北陸医大 (仮) にせよ、多くの学生や研修医は、興味の幅が極めて狭い。 将来、自分が専門にしようとする分野の、それも業務に必要な内容しか、勉強しようとしない。 つまり「必要だから」という理由で勉強しているに過ぎない。 また、臨床実習の学生や研修医が「○○科に興味がある」と言えば、「将来、○○科の医者になることも考えている」という意味に解釈されがちである。 「自分の専門にする気はないが、学問・医療として興味はある」という意味には、解釈されないのである。 「必要はないし専門にする気もないが、面白そうだから」という理由で勉強するという発想が、ないのである。
私が精神医学の名著 Kaplan & Sadock's Comprehensive Textbook of Psychiatry, 10th Ed. (Wolters Kluwer; 2017). を購入したのをみて「病理には必要ないだろう」と言った人がいる。 私は「だからこそ、積極的に勉強するのだ」と答えた。
子供の頃には、誰しも、幅広い好奇心、興味の心を、持っていたはずである。 いつのまにか諸君は、それを心の引き出しの奥にしまい、鍵をかけてしまったものと思われる。
そのまま、一生を終える気なのか。